成婚事例

20代の成婚事例

埼玉県西部在住 20代女性 成婚事例①親からのお願い「変な恋愛は困るんです」
 「20歳の娘のことなんですが、県内の短大を出て保育士の資格を取得し、この4月から働き始めました」と父親からの電話。2年前に、寂静が司会をした結婚式に来賓として出席した折に、寂静が仲人をしている事を隣席の人に聞いたと言う。席次表を確認すると確かに主賓席に名前アリ。「まだお嬢さんお若いんですね」に「最近、イヤな事件が多く変な人と出逢うと怖いので、是非お願いしたい」と父は続ける。書類提出し身元確実な方との出逢いである事は、長い仲人業で地域には浸透している。まずはご本人と一緒に見学頂く事になった。

 翌週親子三人で来社、代々続く地元の名手で気品あるご夫婦、ご本人はまだ幼さの残る清純な女性である。伺うとご両親は同級生で、親同士が知り合いで高校時代から仲良くしていたので、自然な形でスグに結婚が決まったらしい。親が若くして結婚される方は、お子達も比較的早い結婚の方が多い。ご本人もご両親のように早く結婚して家庭が創り、子供と楽しく過ごしたいと話してくれた。年令もお若いし、何よりお相手のある事、それぞれに希望の条件もありますから、すぐ結婚出来るとは限らない事を説明すると「そうですよね」との優しいお返事。条件が揃っても2人の相性こそが必須と伝え、いよいよ、書類提出とお見合い写真の撮影日程を調整し婚活は始まった。

 翌週、書類提出後、お見合いには特に重要な写真撮影。時間を掛けリラックスな中での飛びっきりの笑顔を当社併設の写真スタジオで専任カメラマンが撮影。結婚相談所埼玉の写真はなかなか好評と自負している。結婚の夢は「ご両親みたいにいつも仲良く一緒で楽しい人」が良く、年収だの身長や職業は問わないと言う。条件ばかりを言う方もおられる昨今で、仲人として清々しい気持ちになった。

 そして、4回目のお見合いで良縁が巡った。隣町の2才年上の次男で公務員。「昔ながらの仲人」として、歩いて探した縁である。お兄ちゃんの同級生だと聞いた。案外、縁は近くにあった。全く知らない方ではないので、話はとんとん拍子に進み、皆の祝福の中で結婚。

 あれから早10年。久々に訪問すると、元気な男の子3人の子育て真っ最中。毎日戦争みたいだとあの時と同じ笑顔で優しく笑った。「親が自分を育ててくれたような温かい家庭を創ろう。出来たらそれ以上の家庭をね。それが親孝行」平凡な普通の日の至福。

埼玉県西部在住 20代女性 成婚事例②「出会い系から脱出、仲人型婚活」へ
 お父様からの予約電話でご両親と来社した彼女は、高卒後、地元の会社に事務 職として勤務している、まだ幼さの残る笑顔の可愛い方。会社の雰囲気にも仕事にも慣れ、男性社員の多い中で彼女の社交的で明るい性格は、社内からもお取引様からも評判が良かったらしい。
 
 友人とショピングや映画を楽しんだり、街コン等で異性との出逢いを楽しんでいた。そして面白半分で友人と出掛けたサイトで知り合ったお相手と逢い、トラブルになり怖い思いをして警察に相談したと言う。大事に至らなかったのがせめてもの幸いだと、ご両親は勿論何より本人が軽はずみな、自らの言動を友人共々深く反省したとしみじみ打ち明ける父。巷には危険の潜む出逢いがある事は確かである。若者にそれが見抜けるかと言っても、大人でさえ危険と紙一重の出逢いもある。居酒屋で女性が無料、居合わせた男性がOKだったら料金は男性支払いで楽しくお話をしてお酒を飲み、、お店は飲食代を頂ける。誰も損はしない設定に、時に大きな落とし穴がある。自己管理の中での出逢いや会話、お酒を飲むとしても、一歩間違うと出逢いほど怖いものはな い。まさに「人生は縁の結び方」尚且つ「自分の人生に、しっかり時間とお金と気持ちを掛けよう」慎重であってほしい。

 まだ20代の前半で、決して遅くはない結婚への年齢ではあるけれど、身元確実な方との良質な出逢いを求めて親とじっくり話し合っての来社となり、程なく婚活が動き出した。 理想を高く掲げる訳でもなく、只一緒にいて楽しい人が良いと明るく話す彼女は、笑顔の可愛さもありお見合いのお申し込みも多い。しかし、余程の遠方の方やかなりの年上の方でない限り「順番に、お逢いしたい」と、謙虚で素直な姿勢だった。

 そして、3回目のお見合いで埼玉南部の3才年上で、スポーツマンの会社員の方と結婚を決めた。デートで行った2人の趣味である水族館巡りが、2人の心の距離を一挙に近付けた。ご両親が若き頃に結婚された方は、お子達の結婚も若いようだ。
「色々あったけど、ホッとしました。ありがとう」の親の挨拶に、ひときわ安堵の想いが伝わった。おめでとう、幸せにあれ♪

埼玉県西部在住 20代女性 成婚事例③街の合コンの出逢い・参加者に既婚者!
 ちょっと名の知れた飲食店さんが、不定期に開催する合コンがあり、そこに高校の同級生に誘われ参加したTさんは、26歳の会社員。同級生も一緒だからと気楽な気持ちで出かけた。世話好きで情に厚い店主を慕って賑わう店で、常連さんに声を掛けて独身の男女に出逢いの場を提供しているので、安心して出席したと言う。

 当日、男性6名女性5名で、年令は20代後半から30代前半で、皆きちんとした服装で良識ある人達だと感じたらしい。食事をしお酒も飲みながら仕事や趣味の話で楽しく盛り上がり、予定の二時間半をオーバーしてお開きになった。お互いの希望があれば自己責任で連絡先を伝え合いライン交換もOK。この日はTさんともう一組がカップルになり、後は当人同士で連絡を取り合うシステムらしい。店はあくまで結婚を希望する方を集い場所の提供をするだけ。飲食代は男性がお支払い、女子は無料。一緒に行った友人はタイプの人はいなかったが、Tさんの交際を応援してくれた。マッチングしたお相手は建築設計の仕事をしており、趣味の話も楽しくTさんも家族構成や時々行く海外旅行の話をしたり、ドライブを楽しんだり、逢う毎に気持ちが前を向いたTさん。交際三か月が過ぎた頃、スマホに子供の写真を見て、彼は子供2人のいる妻帯者だった事を知った。 

 Tさんは人が信じられなくなったと涙ながらに打ち明けてくれたが、彼女の気持ちを思うと憤りあるのみ。この合コンで店主はお店の売り上げが上がり、男性客はお金を払いはするが楽しく食事が出来お酒も飲めるし、そして女性はタダで飲食ができると言う事だ。聞けば聞く程、実に安易で無責任で不安定な出逢いだ。自己責任とは言え、結婚を目的の出逢いを言うのなら、独身である事は必須の条件。Tさんのお相手は、知り合いの方に合コンがあると言われ軽い乗りで出席し、騙したつもりはないとも言ったらしい。

 この様な安易な出逢いから起こるトラブル相談は「結婚相談所埼玉」当社の顧問弁護士宛てに増える一方である。真剣に結婚を考えるのなら、身元確実は必須絶対条件。結婚を目的と称して安易な出逢いを創ってはいけない。Tさんは、気持ちを切り替え一年後、爽やかな病院勤務の医療従事者と当社で結婚を決め、只今子育て奮闘中である。

開業45年目にして仲人の使命と責任を改めて思う。
「人生は縁の結び方」「自分の人生に、気持ちと時間とお金をしっかり掛けよう」

埼玉県西部在住 20代女性 成婚事例④借金のある人と別れ、誠実な人と結婚したいと母と来社
 飛びっきり元気な声のお問合せで「結婚相談ですか?何か悩み相談ですか?」を伺う必要なさそうな明るい声。どんな所でどんな仲人が結婚のお手伝いをしているか、ご見学に下さいと話し翌週お母様と来社した彼女は22歳の医療機関に勤務の可愛らしい方。

 「まだ若いのに」と心配する母だが、本人が若い時の結婚を強く望んでいるから応援したいとも話す。三人姉妹で姉2人はすでに嫁ぎ、他県で幸せに暮らしていると言う。ご両親の希望はご養子さんですか?に「別にそれはどちらでも構いません。幸せな結婚をしてくれれば良いんです」と、母は話を続けた。「実は娘は友人の紹介で3才年上の会社員の男性と結婚を前提に交際していたのですが、その相手にサラ金の多額な借金がありまして、破談にしました」と。元々早い結婚が希望だったので焦っていた事もあったかと思いつつ、綺麗に別れられて良かったと母は安堵の思いを打ち明けた。そして、今度は誠実で真面目な方と出逢ってほしいので、結婚相談所埼玉の当社に紹介があり来社したと言う。

 月二回発行の埼北よみうりの記事も以前から読んでいたとの事。別れた男性とのデート代は、食事代も含めほとんど彼女が払っていたと言い、今になれば可笑しいと思うが、「結婚するからどちらが支払っても同じだと思っていた」と明かしてくれた。一概には言えないけれど、同性だけの兄弟姉妹の方は、異性に純粋であったり異性への自己表現が苦手な方が多く、お相手を正確に見抜けなかったりが少しだけ多いような気がする。これはあくまで結婚相談や悩み相談を40余年していた体験から得た事だから、一概には言えないが・・・。

 婚活の開始と同時に彼女への問い合わせやお見合いのお申し込みが急増し、スタッフは書類の整理に追われるほどだった。条件の良い方を探してお見合いを受ける方が多い中で、彼女は順番に逢わせて頂きますと謙虚に婚活に努め、アドバイスも熱心に聞いてくれた。医療系の仕事で夜勤もあり勤務状況を確認しながら、楽しくお見合いをこなし半年が経過した時、話し易くて一緒にいてとても楽しいと言う爽やかな28歳会社員と結婚を決めた。仲良く手を繋ぎ成婚挨拶に来られた2人の笑顔は輝いていた。お話を進めると彼が地元名手の息子さんで、共通の知り合いがいると判り親戚が増えた気がした。彼女は今職場を変え専門職として仕事を続けながら、お料理も頑張っているらしい。

 多くの方との縁を見つめて、成婚の笑顔に出逢う度に仲人の結婚への想いが膨らむ。

埼玉県西部在住 20代女性 成婚事例⑤妹が障がいで結婚を諦めていたが心優しい人と結婚
 見知らぬ携帯番号からの電話が掛かった。開口一番「結婚をしたいと思っていますが妹が重度の障がいで、それでも結婚出来るか聞きたいんです。障がいを持っている家族がいたら、結婚は出来ませんか?」小さな声で自信なさげに話す口調から、思い悩む様子が伝わる。どの家にもどの人にも事情があるし、その事情も包み込んで縁は動くのだと説明した。切なそうなその一本の電話から始まったKさんの結婚物語は、人柄の良さもあり婚活の動き出しはすこぶる早かった。「ご本人の障がいは勿論、ご家族の方の障がいも特に気にする必要はないと思います。結婚のお相手とはそれも含めて、相性と相応しさだからです。」

 そう話して三日後、ご両親も寂静の話が聞きたいとの事で、車で一時間の道のりを来社した。二人姉妹の長女であるKさんは、優しく思いやりのある女性で妹の障がいを幼い時から優しく介抱していた。代々続く兼業農家で跡取りの事も含めて、親は長女Kさんの結婚に、家を絶やす事無く幸せな家庭を創ってほしいと心から願っている。一番大切な結婚の幸せは二人の居心地の良さと相性と寄り添う気持ちだから、二人の気持ちが響き合えば、妹さんの障がいは重く考え過ぎない方が良いとアドバイス。

 書類が整い婚活が動き出した。プロフィールに記載の「妹さんの障がい」について、詳細確認の電話が他相談所の仲人から入り、その時点で白紙になる場合もあれば、お見合いして「話が合わなかった。」としての良縁に至らぬ場合もあった。これは仕方のない事。色白でふくよかなお顔立ちは好感度もあり、お見合いのお申込みも続いた。一人一人に丁寧にお逢いしたいとお見合いに臨み、七回目のお見合いの方と結婚を決めた。お相手の妹さんもKさんの妹さんと同じ障がいを持っていて、病気や障がいへの理解もあり、それも含めて相性も合って、話はトントン拍子に結婚へと進んだ。おまけに養子縁組を快諾してくれたので、それはそれは両親は喜び安堵してくれた。

 週末のドライブは車中での会話も盛り上がり、将来の夢を二人で語り合いながら楽しく過ごし、順番に行きたい所を決め計画を立てての週末ドライブが思い出を膨らませた。言いたい事が自然に言えている事が、とても不思議でいつも妹を気遣っていたので、Kさん自身もこんな自分もいるんだと初めて思ったと話してくれた。温厚誠実な彼の人柄に娘の結婚を半ば諦めていた両親は、満面の笑みで祝福した。

 彼の実家も家族仲がすこぶる良く二人の結婚で両家の親交が始まった。結婚半年後に色白な女の子が産まれ、新居となったKさんの実家には彼のご両親も孫に逢いに良く通って来た。二年後には敷地内に新居を計画しているらしい。
「何を持って来ても、結婚出来な理由は何もない」「結婚したいかどうか、それだけ」「障がいは不便だけど、不幸じゃない」
誰でも支え合い、寄り添い、好きな人と暮らす幸せ。

埼玉県西部在住 20代男性 成婚事例①早く結婚したいんです、お金が・ない
 埼玉結婚相談所の当社の婚活ブログ記事を持参し、来社した28才の会社員の彼。親が地域の埼北よみうりを渡し読んでから行っておいでと、勧めてくれたらしい。そもそも来社のきっかけは、友人の披露宴に出席しての感動だった。その感動を母親に伝えたら、切り取って綴ってあった記事を出して来たらしい。この方の様に友人の披露宴に招かれ、結婚って良いなぁ~と、来社する方は今も昔も多い。生涯の伴侶と定めた2人が、お世話になった方々にご披露する事は、大いに意義があり披露宴の醍醐味と思う。ご臨席の数多の方々は今日までお世話になり、そのお陰で迎えられた結婚式は、本人は勿論ご両親様も言葉に尽くせぬ想いだろう。そして、これからも2人を支え続けてくれる方々。

 男兄弟の長男でまさに誠実真面目、結婚したら温かい家庭を護るだろうと思わせる人柄。人見知りで異性との会話が苦手、何においても自分から声を掛けられないと話す。具体的な婚活の書類を説明し入会金の話が始まった時、彼はあらっと表情を変えた。「お金かかるんですね~、僕、ないんです」と。改めて預金を聞くと15万円との返事。お給料は友人との飲み会や車に使い、それが当たり前と思っていたらしい。婚活もそうだが結婚もお金が必要、実家暮らしで家に入れていないなら、お給料は半分使い、半分は将来の為に預金しようよ。本当はね、成人したのだから実家にも生活費を入れる事が望ましいと話し、少し預金がたまったら又いらっしゃい。あれから、2年が過ぎ彼からの電話が鳴った。「預金が貯まりましたぁ」声が輝いている。手に通帳を握り締め部屋に入るなり、おもむろ通帳を見せてくれた。ワッ!凄っ!頑張ったね!言われた通り給与の半分は預金し、ボーナスほぼ全額預金したとの事。

 あの時に持ち帰った入会書類は、丁寧な字で完成されていた。幸せな結婚にはお金が必要だと理解した彼は、会話と交際のカウンセリングを経て、何度かのお見合いを重ね、3才下の笑顔の多い元気な女性と結婚を決めた。何事も準備が必要。彼の素直と謙虚さが未来に向けての夢に向かい背中を押した。彼と同じ頃に来社しお金がないと言っていたもう一人の方は、上り方面の相談所に行き、お金がないのならと仲人がサラ金に案内してお金を借りたと言う。切ない話だ。どうやって返済するのだろうと心痛む。人見知りも会話の苦手も欠点ではない事のカウンセリングを経て、彼は明るくなったし、何より快活な彼女が彼を変えた。

埼玉県中央部在住 20代男性 成婚事例②彼女がいない歴26年結婚希望し婚活
 彼は男兄弟だけの長男で28歳、次男はすでに結婚し子供2人に恵まれ他県で暮らし、他の弟達も彼女と楽しそうに休日を過ごしているらしい。公務員の彼はカレンダー通りの休日があり、たまに趣味の釣りを楽しんではいるが、やはり楽しそうなカップルを見て結婚したいと来社した。弟の子供達を見ていて、子供って可愛いとつくづく感じたし、自分も結婚し早く温かい家庭を創り子供を育てたい想いが膨らんだと言う。勉強と仕事一筋だった今までを振り返って、恋愛もしなかったと落ち込む彼だけど、爽やかで誠実な人柄は好感が持てるし、これから頑張ろうとアドバイス。只、日常の会話は普通に交わせるが、「異性との会話は、かなり緊張するし苦手」だと、今後の婚活の事を心配している。「これから先の事は、その時々に不安を受け止めるから大丈夫」と、イザ婚活開始!

 プロフィールが整い程なくして、彼への問い合わせやお見合いのお申し込みも増えた。しかし、ことごとくお断りが続き聞くと「タイプじゃないんです」ときっぱり言い切る彼。理想はダントツ容姿端麗の女性だった。恋愛が少ない方に多い傾向ではあるけれど、容姿共々性格的相性の良し悪しが大事であることを伝えた。お申し込みが多くあるのに彼の気持ちは容姿端麗第一にて、一向にお見合いに至らず、ゆっくり時間を掛けてカウンセリング継続。「貴男の希望のお相手は判ったけど、超美しい方も勿論良いけれど、笑顔の可愛い方も積極的に選んでほしい」「結婚は自然体の相性で、安らげて居心地の良さが大切」と伝えた。そして、初めてのお見合いが交際へと動いた。異性との会話が苦手と心配した彼だったが、明るく活発な女性で話し易くデートの予定も立ててくれるし楽しいとの交際報告あり。何度か逢ってみて、結婚に相応しく一緒にいたい方か、それが大事だと伝えた。デートの楽しい想い出は、結婚後も大切な財産になり頑張りの元、良い時間を過ごしてほしい。家が近所のこともありデート帰りにお土産を持参してくれた彼に、良縁を祈った。その祈りの成果か、初回お見合いの彼女と結婚を決めた。「結婚相談所埼玉」の当社は、ネットで能率的な婚活も勧めているが、希望で定期的にカウンセリングに来社頂く。

 逢っているから伝えられる事もあり。お見合いし三か月が過ぎ結婚が決まり、2人が成婚のカウンセリングに来社。積極的に明るく話す彼女に、彼が会話に困る事は全くなく、それが自然体だった。これが相性、これが良縁。おめでとう、幸せにあれ♪

埼玉県北部在住 20代男性 成婚事例③パパになった友人に憧れ、謙虚&素直に頑張った婚活
 高校生の時に2年間仲良くしていた彼女がいて、卒業と同時に自然消滅してしまってからは、特に出逢いもなく恋愛をする事もなかったと穏やかに話してくれた。かねてより憧れていた念願のIT企業に就職し、難しい事にも沢山直面したけれど仕事が楽しく夢中に過ごし、あっという間に五年が過ぎた。特にお相手もいなかったから改めて結婚を考える事もなく、実家暮らしが続いていた。実家暮らしと言っても親のレールに乗る事はなく、妹との4人の暮らしはそれぞれが自立して心地良い生活だと言う。

 趣味の釣り仲間や学生時代の友人との飲み会やツーリング等、多くの友人に恵まれ交流もあり、彼の協調性豊かな温かい人柄がしみじみ伝わって来る。毎年行われる中学のクラス会は、予定が合わず暫く行かれなかったが、今回久々に出席することが出来た。皆社会に出て数年と言うところで、其々に活躍している様子で誰もが頼もしく見えた。近況報告では、すでに2歳になる子のパパになっている友人がいて、とても羨ましくなったと話してくれた。そしてそこで、彼の婚活スイッチがにわかに入ったのである。いつも読んでいる「埼北よみうり」の「結婚相談所埼玉の連載記事」の連絡先に、初回見学相談の来社希望のメールが届いたのはクラス会の3日後間だった。

 地域性か親と一緒の来社が多い当社だが、親に報告はしたが1人で尋ねて来た。成婚までのプロセスの説明が済むと、入会の意向を示し翌週書類の確認と諸手続きをして、早速婚活が開始された。見合いから交際までのその時々のアドバイスを、寂静の言葉のポイントの一つ一つをノートに書き留めながらの熱心な婚活姿勢に感動。その後3度目の見合いが交際に進み、「どんな所に誘ったら良いですか?」とのアドバイスを求めるメールが届いた。一緒に行きたいと思った場所には、お休みの日にでも一回行ってみると案内し易いと伝えると、早速「フラワーパークに行って来ました」と楽しそうな報告が入った。

 逢えない日はメールや電話で連絡をしてとのアドバイスにもその通りに前向きに努めていた。社会人になってからの交際経験がないとはいえ、アドバイスを謙虚に聞き素直に行動に移すことで、自然体で交際も頑張れたと彼は言った。そして一歳年下の彼女と楽しい思い出を沢山創り結婚を決めた。「色んな所に連れて行ってもらったんです」と笑顔の彼女も輝いていた。信頼する仲人のHPには「婚活は謙虚で素直が一番です」とある。まさにその通りと思う。 何事もそう、「謙虚と素直」は、結婚の幸せへの近道でもある。

埼玉県北部在住 20代男性 成婚事例④恋愛ゼロ無口28歳の彼「時間掛けても結婚したい」すぐ結婚
 男兄弟3人の長男で口数は少なく穏やかで協調性豊かな彼は、クラスでいつもまとめ役だったと同行した友人が話してくれた。結婚相談所に来たきっかけは、二年毎に開催する中学の同級会で結婚してパパになっていた友人がいて、その衝撃を受けたからだと言う。出来ちゃった結婚と言う事で子供はもうすぐ一歳になるらしい。そのうち結婚出来るかなぁ~、出来ると良いなぁ~程度に、気楽に将来を考えてはいた彼が、パパになった友人の幸せぶりに見て突如、結婚スイッチが入ったのである。

 結婚への夢はずっと持ってはいたが、恋愛経験が全くなく、具体的に結婚を考える事もなく、只々友人の結婚が彼を奮い立たせたのだ。「引っ込み思案な上に異性とも話をした事がないし、時間が掛かると思うんです。自分でもすぐ結婚出来るとは思ってはいませんので宜しくお願いします」と言うその表情に結婚願望がしっかり伝わる。

 祖父母が専業農家で両親は共働き、叔父も叔母も一緒の田舎町の大家族だったから、賑やかで楽しいしそんな賑やかな家庭が創りたいと夢を語る。新規の方は、「どれくらいで結婚出来ますか?」とよく質問されるが、彼はそう言わず「無口で恋愛経験がないこんな自分でも結婚出来ますか?」が一番最初に発した質問だった。結婚は無理ではと思い込んでいたからこそ、時間が掛かっても良い様に早めに来社したと繰り返す。彼は穏やかで協調性もあり、友人も多く仲間達との趣味の交流にも楽しく参加し、グループでの信頼も厚く、頼られる人気キャラらしい。

 婚活開始に伴い、お見合いから交際、成婚に至るプロセスのアドバイスを始めると、熱心にメモを取り真剣に聞く姿勢に結婚への情熱が伝わり私とて背筋が伸びる想いだった。結婚は「結婚したいと思う気持の勢いとタイミング」が合えば決まるから、それ程難しく考える必要はなく行動を起こせば縁も自然に動き始めるものだ。かくして彼のお相手への希望は特になく敢えて言うなら話し易い人が良いですと言い、自己PR文を一緒に考え、いよいよ婚活始動。間もなく問い合わせと申込みが一挙に入り具体的に動き出した婚活にその都度アドバイスで応援しながら良縁を祈り見守った。

 アドバイスを素直に聞き彼は疑問点を質問しながら謙虚な姿勢で婚活に努めた。素直で謙虚が婚活でも必須だとしみじみ実感。一昔前は長男には「結婚後は両親と同居ですか?」の問合せが多かったが、今はそれもなく容姿&条件も良い彼にお申し込みが続いた。申し込んで下さった順にお逢いしたいとの彼の意向でお見合いし、四人目の二才年上の女性と結婚を早々と決めた。快活な彼女は彼が黙っていると自然に言葉を投げかけてまさに相性抜群。優しい言葉で彼をリードする爽やかさに仲人もホッとした。結納や結婚式は彼の家では初めての為、新婦の両親に聞きながら和やかな雰囲気の中で結婚準備進行中。結婚まで時間が掛かりそうだと不安げに言っていた彼は、幸せそうに来週の衣装選びを報告してくれた。

30代の成婚事例

埼玉県北部在住 30代女性 成婚事例①仕事一筋の彼女はきっかけを掴み、仕事も家庭も充実。結婚は人生が膨らむ。
 朝八時過ぎ「娘が結婚する気がなくて困ってるんです」と、困り果てた様子の母からの電話。「結婚相談所・埼玉」の読売新聞地域版の埼北よみうりをもう何年も見続け、ずっと切り抜いて取ってあると話してくれた。「ありがとうございます」「お嬢さんは結婚するお気持ちはあるのでしょうか?」と聞くと、結婚の話をすると部屋から一歩も出て来なくなったと嘆く母。その為に、以前のような団らんの時はなくなり、家の中がピリピリしていて、その上夫は何も言わずに甲斐性がないと言い放ち、話の矛先は夫に向かっていった。

 年令は36才、都内の大手銀行勤務で役職に付いていると言う。「ご立派ですね」と言う寂静に、出世なんか良いから人並みに結婚してほしいと母は尚熱い。田舎町で同年代の方の結婚や出産の話が聞こえる度に肩身が狭いとも言う。自宅が駅から遠い為、朝晩片道20分掛けての送迎が母の日課らしい。おまけに月末とか仕事多忙の時期は、最終電車での帰宅も少なくなく、疲れ果てたと続けた。どうしたら良いのか判らないと話し続ける母に「婚活無料相談」に是非お出かけ下さいと伝えた。

 そして1週間後、ご両親が来社。いつもの通り「仕事の代わりはいても、自分の替わりはいない」「年令は大切な財産」である事を伝え、待っていても出逢いが難しい時代である事を話した。基本的には仲人をしている寂静だが「結婚して良し、しなくて良し」「子供いて良し、いなくて良し」と考えてはいる。けれどお子さんをご希望なら、年令をしっかり見つめる事が大切だと伝えた。「ではどうしたら良いんでしょうか?」とのご両親の問い掛け。是非一度、親の圧でも世間体でもなく、人生の先輩として自分の人生を見つめ直して欲しいと穏やかに語りかけてほしいと伝え、社会見学に寂静の所に来るように言って下さいとアドバイス。見学に来たからと無理な営業はしませんと申し添え、話は終盤に。まずはご本人の気持ちを尊重しましょう。この町は口コミで来る方が多く改めて地図を見ると一軒隣りもそう。

 翌週、早々にご本人が来社した。「年令は大切な財産」であることを伝え婚活が開始した。お相手に対しての超高い理想は想像の通りで「貴女の理想の条件は、必ずしも幸せの条件ではない」事を伝えると、お見合いのお申し込みを頂いた方とのお見合いがにわかに動き出した。交際に入ると帰宅時間は終電になる事もなく、結婚が決まる頃は8時前になった。今も仕事熱心&責任感は変わらず、現在は2人の子育て中で、間もなく3人目の出産休暇に入る。少しのきっかけが人生は創られる。「今だから出来る今しか出来ない自分の応援」がある。

埼玉県西部在住 30代女性 成婚事例②婚活10年の焦り、お見合い100回尚決まらぬ焦り
 30代会社員のHさんは、10年以上婚活を頑張ってきたが、結婚出来ないと友人の紹介で来社した。お見合いパーティーは勿論、結婚相談所も大手から個人まで計6カ所に入っていたが、契約切れと婚活疲れでやむなく退会したらしい。結婚相談所を熟知した専門用語が話され、苦労を伺わせる。A相談所の入会金は・・・、S相談所は五時で終るから話が出来ない、Cは・・・等。お見合いを繰り返しそれが習慣になり、焦るばかりで落ち込んでいる。お相手ある事、お見合いをすれば結婚が決まるとは限らず、お見合い時の会話や交際の状況をしっかり伺い、成婚に導けるアドバイスを思った。大学卒業後、恋愛をする事もなく年令だけが増えたと嘆く。 お見合いは順調だが、交際後間もなく白紙になるのは、「縁がなかった」だけではないかも。お相手からは「結婚のイメージが湧かない」とか「話が合わない」との事。そして、自分自身のお断りの理由は、「楽しくない」「気が重い」等々。縁がなければ「幸せ祈ってアバヨ」が似合うのだが、100回を過ぎたお見合い、もうこれ以上相談所のはしごは止めてあげたいとの一心で、真剣に向き合った。入会後、雑談の中で沢山の話をし、その盛り上りの中で「あらら」と思う事が幾つか出て来た。

 会員と仲人は、信頼関係がないとどんなに気持ちのある言葉でも、反発になり空中分解する。一心同体になり、同じ目線で「困ったね、どうしたら良いかな」が必須。無駄だと思われるような多くの時間が流れて解けてきた。彼女には会話の中で、人と張り合う様な言動が多くあり、それは結局お相手に不快感を抱かせ、断りの決定打を創った。お見合や交際は討論会ではなく、会話で打ち負かす必要はない。「そうなんですね」で、会話は盛り上がるのに、「でも」が沢山入り、結果的にお相手からの全面否定となる。これはお見合いに限らず、人間関係の超基本。時間を掛けて話すと、彼女は納得した。幼少期から何につけても「いつも一番」を意識していた事を、涙ながらに打ち明けたが、今更、親のせいには出来ない。「会話のコツ」を伝授し、元気に婚活を開始、何度かのお見合いを経て成婚を決めた。2人で来た成婚のカウンセリングの時「恋愛ってこんなに楽しいんですね」と彼と顔を見合わせの微笑みが幸せを伝えていた。やっと見つけた彼女色の幸せ。
「結婚相談所 埼玉」は、結婚は勿論、その人らしく輝けるように、応援を続けたい。

埼玉県西部在住 30代女性 成婚事例③高過ぎる理想で遠のく縁、仲人の直感で紹介 初恋で結婚
 「恋愛をした事はありません」と明るく話す彼女は30代後半の会社員。勤続15年表彰を受け管理職として社内でも重鎮的立場である。仕事が楽しく夢中だった事もあり親戚や上司からの見合い話には一切乗る事もなかった。そして、話は一切来なくなり、親に頼み込まれて当社で結婚した近所の方に紹介されての来社になった。久々に出席した中学校のクラス会は、夫や反抗期の子供達の話題で盛り上がり、話に入れず困惑したが、大半が子育て中であることを実感した。将来を思うと此の儘じゃマズイとしみじみ思ったと言う。改めて結婚の夢を聞くと相手への理想はすこぶる高く、これは難しいとビックリ。職場が実家と近く、生まれてから実家暮らしが続いていた。おまけに衣食住のほとんど全てを母親に任せっきりで、休日は趣味や学生時代の独身仲間と海外旅行や演劇を楽しんでいた。料理は好きですか?の問いに「全然したことありません」とサラッと言い切った。

 随分前の事だけど、見合いの席で「お料理は出来ませんから」と言って即刻断らえた女性がいた。本人は「料理が出来ない事、始めから言っておかないとダメだと思ったから」と正直に言うが、そうじゃない!そんな時は「今、お料理頑張って勉強中なんです」と言おうよとアドバイス。大恋愛じゃない限り「良いよ、出来なくても!」何て通用しない。いや大恋愛じゃなくてもお料理は頑張ろう!隣の席では、娘が次は何を言い出すか気にしながら戸惑い気味の母親は、「結婚し平凡な幸せを望むだけです」と話す。人並みの幸せを切に願う親心が伝わる。容姿端麗でありお見合いの申し込みは多く、1人1人のプロフィールをしっかり見てはいるがなかなか「逢って見ます」とは言わない。恋愛経験がなく結婚に向けての異性への気持ちが自分自身でも判らないのではとも、仲人として考えてはいた。だから多くのお申し込みを頂いても、逢う気持ちにはなれないのではないか・・・。

 結局その状況が3ヶ月続き、相性の良い方は何処かにいるはずと思い巡らしていた時、そうだっ! 彼はどうかなぁ~?日頃、結婚相談所埼玉の当社のカウンセリングは予約で来社頂いているが、その日は時間を同じにして別々の部屋に案内し、自然な形で紹介を考えた。「3時だから一緒にお茶しましょ!」彼は彼女より3歳年上の公務員で、会話は円滑気配りもバッチリ、ボーイスカウト所属。相性が合えば問題ない青年。彼女は緊張の中でも会話を彼に委ねて楽しそう♪結局その日は二時間ほど皆で会話。翌日改めて彼の印象を聞くと話易くて良い感じですと。相応しい縁なら良い♪彼も素直で活発で感じの良い女性だと称賛♪2人で出掛けてみたら?にデート開始♪互いに連絡を取り合いドライブや映画、ハイキングに出掛け、デート帰りに立ち寄って交際報告に結婚の予感。間もなく結婚を決めた2人。仲人の感って当たる♪

埼玉県北部在住 30代女性 成婚事例④実家を出ない保育士の娘に結婚か自立を勧めた母
 母の電話で来社予約が入った。いつもの様に「本人は結婚の気持ちありますか?」と尋ねると「ハイ」との返事。住所と名前を聞いて来社日を予定に入れた。車で小一時間の距離なのでそれ程遠くでもなく、何度か近くの女性会館に研修に来た事がありナビもあるし大丈夫ですと。そして翌週母と2人で来社。「こういう所は初めてで緊張します」と緊張気味の母。33歳の長女は保育士さんで兄1人と両親の4人暮らし。話が進む中で家族の仲の良さが伝わり微笑ましい。兄共々実家を出た事は一度もなく、生まれてからずっと変わらぬ4人暮らしで、時々する口喧嘩くらいで楽しい時間が続いて来たと言う。

 この儘では良くないと長女が30歳を過ぎた頃から母は、兄には自立を促し長女本人には結婚を考えるか自立するかを提案してきたと言う。来社が遅くなったのは、父親は2人が出ていくのが寂しいらしく、此の儘でずっといれば良いとどんどん年令が増えたらしい。間もなく兄は駅近くのマンションで1人気儘な独身生活を開始し、それに感化されてか彼女は具体的に結婚を考え始めたらしい。初回の説明を熱心に聞いていた母は、「婚活が始まると親と一緒のお正月はあと一回かも知れないから、両親との時間も大切にね」と言うと涙を浮かべた。婚活開始に伴い誰にでも伝えたい言葉があり、それは親子こそが深い縁であり大切にいてほしいとの思いからだ。書類も整い結婚相談所埼玉の当社写真スタジオで専任カメラマンによるお見合い写真撮影開始。スクリーンの前に立つ彼女の爽やかな明るい笑顔が連写され、一番輝く写真で婚活開始。子供が好きで一生懸命勉強して保育士になったと言うだけあって、人懐っこい優しさは好感が大いに持てる。

 定期的に行う協会の仲人会議で紹介すると、お見合いはにわかに動き出した。結婚を考え婚活を考え尚、将来子供を希望されるのでしたら、年令は大切で早い活動は大事です。申し込まれたプロフィールを見ながら見合い準備が進む。「出来たら実家に近く」「出来たら勤め人」「出来たら転勤がなく・」等、幾つかの「出来たら」を希望してお見合いが決まった。会話も所作も礼儀作法も備わる彼女は、5回目に出逢った方と結婚を決めた。幸いにも相手はすべての「出来たら・」が備わり、車で20分の隣町在住で、実家近くで、転勤のない会社員。両親の喜びは大きく子供の結婚など考えた事がなかった父の、満面の笑みは部屋中を明るくした。結納の日も決まり、次の婚活は長男だと母は意欲を燃やしている。「行動すれば縁も運も動く。待って考えても何も動かない」

埼玉県西部在住 30代女性 成婚事例⑤超高過ぎの条件。出逢ったら大好きになり希望条件無しに
 母親からの電話では「長女の結婚の事で一度お伺いしたいのですが・・・」との事だったのだが、その電話の後半で「結婚を考えているのかを聞いたら急に怒り出し、それからは同じ家にいるのに全く会話もなく、帰宅すると自室に閉じこもっていると言う。年に何回か同僚と海外旅行を楽しみ、地元の友達とも楽しく過ごし気ままな実家暮らしも15年が過ぎたらしい。さすがに親として此の儘ではまずいと思い、覚悟を決めての話し合いに望んだら、ややこしい事になってしまったと切なそうに母は言う。

 就職して一年ほど経った頃、社内恋愛をして結婚を前提に交際していた方はいたのだが、その方の海外転勤が決まり自然消滅した事があった。海外出張に同行するほど仲良くはなっていなかったのとタイミングが悪かったのだろう。母娘のぎくしゃくして息苦しい沈黙の家の中で、夫はいつもの様に自分は関係ないと言いたげな雰囲気を出しているらしい。「娘の顔色を伺いながら同じ屋根の下で気を遣い暮らすのが疲れた」と、話は人生相談に変わっていった。結婚に関しては本人の考えだけれど、此の儘実家にいるかそれとも結婚はともかく、実家を出て自立するかは話合った方が良いのかもとアドバイス。それから一か月が過ぎ「母に言われました」と来社予約の後に長女は来社した。

 聡明快活な専門職で、会話術も長けていてまさに感じの良いキャリアウーマンだった。結婚は希望したいけどどうしたら良いか考えてはいたし出来る事なら子供がほしいとも話してくれた。いよいよ婚活開始、お相手への希望に「真面目で優しい方であれば良いんです」と言っていたのだが、いざ動き出すと容姿の理想はすこぶる高くお申し込みを頂いても次々に却下となった。恋愛経験が少ない人は理想が高いとは言うが、本当らしい。理想へこだわり強く「容姿も判るけど自然体で居心地が良いお相手が幸せに近い」とお話をしてまずはお逢いしてみましょうとアドバイス。お見合いをしても交際には至る事なく「思ったような方ではなかった」と不調が続いた。それではと、今までお申し込み頂いた中から、プロフィールの見直し始めて間もなく7歳年上の言葉少なのおっとりしている公務員の方とお見合い。殆ど彼女が話して彼は頷きながら聞いていたらしい。それでも緊張することなくゆったりした気持ちで交際へと進んだ。

 休日は二人の好きな神社仏閣巡りと食事を楽しみ、穏やかな時の流れの中で、結婚を意識しお見合いから3ヶ月で結婚を決めた。娘の結婚を諦めていた母は大喜びで寡黙な父親も終始笑顔だった。諦めかけていた娘の結婚に両親は何度も頭を下げた。神社での厳かな挙式と巫女の舞は荘厳で打掛姿は美しく夢の様だったと感動の両親。

 新居は二人の勤務先の中間にマンションを購入し、お料理をした事がない妻に夫が優しく教えて毎日が面白いと言う。高かった理想を思い出したのか「彼は普通ですよね?」と突然聞いて来た彼女に「普通ね」と正直に返した。容姿は二の次としみじみ思う。きっかけを掴み動き始め拘りを整理すると良縁は巡る。来春二人はパパとママになる。

埼玉県北部在住 30代男性 成婚事例①恋愛経験ゼロで異性との会話が苦手な彼が結婚を決めた
 「初めて電話させてもらいました・」と受話器から伝わる優しい声に、穏やかな人柄が感じ取れた。「一度見学したいんです・」との事で、彼のシフトに合わせて来社頂く日時を決めた。当社を何処で知りましたかと伺うと、読売新聞地域版の埼北よみうりをお母様から見せられ「35才になったし行ってみたら?」と言われたと言う。勤務先が実家近くの為、結局生まれてから35年間、衣食住を親に委ねての心地良い生活を過ごしていたのだろう。

 それから二週間後、来社した。清潔感のある服装で玄関で挨拶をし靴を揃え、家庭の躾の良さを感じた。高校卒業後に勤め始めた会社は車の部品の製造開発でやり甲斐があり楽しいと言う。実家での生活ではあったが洗濯や掃除は自分でやり、話の中で親からの経済的・精神的な自立がきちんとできていることに好感を持った。今までの恋愛を伺うと、恋愛ではないけれど高校時代に好きな人がいましたが片思いで、それからは好きなった人はいませんと打ち明けてくれた。成婚までのプロセスをゆっくり伝え幸せは条件ではなく、寄り添う気持ちだと話すと目を輝かせて真剣に聞いている。子供のいる楽しい家庭が夢で、休みには家族で色んな所に行きたいとも抱いている結婚の夢を語ってくれた。

 婚活開始に当たりお見合いのアドバイスを始めるとメモを取りながら、異性との会話が苦手だと言う。必ずしも快活な話が良い訳ではなく、貴方の自然体が大切だと伝える。そして、お見合いが始まる前からすでに婚活は結婚に向けて動いているのだから、彼女と一緒に行きたい所とか調べたり行ってみたりも大切だと言うと、早速本屋さんで一日ドライブの本を買い、彼のデート予行演習が始まった。

 お見合いはあったが会話が続かないとかの理由で良縁に至らない事が続き、一時は落ち込んだが気持ちを切り替え6回目のお見合いで同じ年の快活明朗な女性と結婚を決めた。彼は交際中、色んな所に連れて行ってくれてとても楽しいデートだったから、結婚して一緒にいたらずっと楽しいんだろうなぁと思ったと話してくれた。仲人のアドバイスを真摯に受け止め、休みの日に1人で県内や近県の観光地を回りデートに向けての勉強していたと後で聞いた。年齢に関係なく「素直&謙虚」は、結婚を近付ける大切な事だ。彼は今益々逞しく明るい妻と3人の男の子を育てながら、休みにはキャンプに行ったり、夢を叶えている。

埼玉県西部在住 30代男性 成婚事例②30代の彼 養護施設での成長
 電話は、お顔が見えなくても人柄やその時の気持ちの持ち様が伝わる。住所氏名を伺い結婚の夢を伺うと、にわかに明るい声へと変わった製造業で勤続15年目の彼も然り。「ハイ、齋藤企画でございます」「・・・」「ハイ、もしもし・」「あのぉ~」と、小さな声で話し始めた。話を続けるうちに徐々に元気な話しぶりになった時、思い切ったような口調で彼は話し始めた。「あのぉ~、僕、養護施設で育ったんです」「そうなんですか、それで?」私の普通の問い掛けに、えっとびっくりしたような返事。今までご紹介や口コミで何人か成婚されていますし、別に全く問題なく必要書類の提出と、誠実勤勉にお仕事をされていれば、入会はご自由ですと伝えた。気が向いたら見学に来て下さいとし、その二週間後来社した彼は、ご説明後に納得して入会を決めた。

 笑顔も爽やかで人当たりは良いが、人見知りである事と低身長を気にしている。どの人にもどの家にも事情はあり、その事情を包み込んで縁は良縁に変わると説明。好きだから一緒にいたい、だから結婚だし、結局は「身長なんて低くても良い、好きだから・」となる。

 婚活を開始し4回続いたお見合いは、彼からのお断りを含め不調となった。落ち込みながらも、縁ある人を探す前向きの姿勢を保ち頑張った。そして又、次のお見合いもご縁に至らずのお返事となり、それを伝えると「やっぱり僕は養護施設で育ったから・」と彼は言った。この言葉で、私の心にスイッチが入った。養護施設で育てて頂いたことは、お見合い前にお相手に理解を頂きましたから、それが原因とは考えにくい。なのに、そこを結び付けるのは不自然過ぎるし可笑しい。養護施設で育った事に、都合良く逃げていませんか?翌日、お相手から会話が進まず、何か聞いても明確な受け返事はなく、ずっと盛り上がらず緊張し疲れたとの報告。

 それから、改めて会話のコツを再度アドバイスし、あまり行かないと言うフャミレスに出向き雰囲気の慣れ会話をした。そして半年、二才年上のテキパキとした姉さん女房と結婚を決めた彼。夢だった家庭を築き子供にも恵まれ、平凡な幸せを楽しく重ねている。かつて親の離婚で施設に入所し、父親の再婚で帰宅を喜んでいたが、新しい母の反対があり、結局18才まで施設に暮らした。それを涙ながら打ち明けたあの時の彼の顔が、今尚心に刻まれている。寂しい思いをした記憶が、温かい家庭を守る想いに変り、施設の方への感謝も膨らんでいる。幸せにあれ、健やかにあれ。

埼玉県北部在住 30代男性 成婚事例③会話が苦手で恋愛ゼロ発声練習寂静とカラオケ
 彼の婚活はお父さんからの一本の電話で始まった。「長男の結婚の事で是非伺いたいのですがいつが宜しいですか?」入会を決めている様子で、ご紹介ですか?と伺うとご近所のUさん夫婦は仲が良く結婚相談所埼玉の当社で結婚したと聞いたとか。Uさん夫婦は双方初めてのお見合いで結婚を決めたのでしっかり覚えている。

 1週間後にご両親と共に来社した彼は、38歳の真面目で誠実そうな会社員。初回相談は世間話や雑談を織り交ぜながら結婚への理想を聞くが、私の質問に答えるのはすべてお父さんで、お父さんの結婚の様でもあった。本人はうつむき時折頷くだけ。これがいつもの彼なんだと思い、敢えて彼に問い掛けをしたが無言。寂静は沈黙にすこぶる弱く、お相手が黙るとつい勇んで話をする癖があるのだが、結局父と寂静の2時間の会話だった。趣味は?の問い掛けに答えようとする表情が見て取れたので、少し安堵した。無口は短所ではなく個性だからそれは良しとして、結婚に本気なら1人でいらっしゃいと来社を促すと前向きに次週の予約を入れた。

 まずはいつもの会話のコツやアドバイスではなく、基本の挨拶を習慣にする事から始め、寂静と2人の結婚への特訓が始まった。まずは話すより声を出すのが必須。2人で気兼ねなく声が出せるカラオケを思いつき、暫く2人のカラオケ通いが始まった。カラオケは幼稚園の時におばあちゃんと一度だけ行った記憶があるとの事で、楽しそうにしている彼に私もやる気が出た。さて何を歌おう。ひとまず私がテレサテンを歌うと「その歌はおばあちゃんも歌っていました」と笑顔で言う。2人の共通の歌は童謡しかなくて、仲良く金太郎や一寸法師やメダカの学校を歌い、あっという間に予定時間終了。通っているうちに滑舌も良くなり声も出せ会話も動き出した。「うちの子、歌えるんですねぇ~」とたまげたご両親から感謝感動の電話が入り、いよいよ婚活開始。

 無口とか会話が盛り上がらないとの理由でのお見合いのお断りは続いたが、8回目のお見合いで元気な5歳年下の会社員の女性と交際に入った。多弁な彼女に心地良さを感じ、お相手も優しくて誠実な人だとプロポーズを快諾、結婚が決まった。新婚家庭に招待され遊びに行くと楽しい会話が飛び交っていた。近く三人でカラオケに行く約束をした。

埼玉県北部在住 30代男性 成婚事例④料理嫌いな妻と離婚、再婚相手は料理上手
 母親からの電話がきっかけで始まる婚活はよくある事なのだが、彼の場合は少し違っていて、母からの息子夫婦の不仲の相談がきっかけだった。共働きではあったが、結婚してから妻はお料理を作る事が全くなく、いつも買ってくるらしい。休みの日は彼が作り、それを聞くと「料理は嫌い」との返事がずっと続いたらしい。料理はどちらが作っても良いし、どこかで歯車が狂いつしかの会話も途切れ不協和音も続いたらしい。双方弁護士を立てての離婚調停は多くの時間を費やして疲れ切っていると母は言葉少なに語る。

 結婚相談所埼玉の当社にも顧問弁護士はいるがすでに依頼している弁護士が対応して下さっているから、自分の考えをしっかり弁護士に伝える事だと伝えた。30代婚活が急増の昨今、彼は心機一転前を向き踏ん張っている。大恋愛の末の結婚だったから良い時も沢山あったのだろう。何時からか気持ちが響き合わず離婚の方向に動き出した。それを簡単に「縁がなかったんだね」とは誰も言えない。調停は裁判に移行する事なく離婚が成立し、半年後に本人が来社した。協議離婚とは言え、考え違い行き違いもあり、往々にして修羅場と化す事は少なくない。話し合いとは言え受けた傷を思い起こしながら結論に至るまでの時間に憔悴しきってしまう。男性は離婚の傷を誰にも言えずにいる事が多くあり、ひとしきり彼の話を聞き思いの程をひたすら受け止めた。一概には言えないが、女性は友人たちに打ち明けたりして、気持ちの切り替えをした上での来社も多く、その分前向きに切り替えやすいらしい。いずれにしても離婚を嘆いたり恥じる事は何もない。

 誠実に生きて来て家庭の円満に努めた上での結果だから、まさに勲章ではないかな・・・。離婚の事務手続きも完了し新たに結婚へと動き出し時、いつもの様に自宅訪問をした。この庭でお孫さんが遊ぶ・、そんなイメージが膨らみ良縁への意欲が湧く。広大な敷地で代々農業を営む両親は、温かくおもてなしをしてくれた。両親の願いは、只ひたすら息子の安泰な暮らしを願うのみで、その親心がしみじみと伝わってくる。理想の女性は?の質問に「食事を作ってくれる人」と言う彼の即答に「なるほど」。

 婚活開始と共に、動き出したお見合いだったが、相手ある事で不調もあり時に落ち込んだ。離婚した事で自分自身へのブレーキが入り、「どうせ自分は・・・」と自信を無くす方が少なくないが、彼もそれは同じだった。5回目のお見合いが順調に交際へと進み、そして5か月が経過し明るい元気な3歳年下の彼女と結婚を決めた。おしゃべり好きなテキパキとした彼女は、結納や挙式の段取りを彼の両親と共に進め、家の中は急に賑やかになり、彼も両親も笑顔が多くなり家中が明るくなった。東京23区に在住の彼女は、念願だった家庭菜園を彼の両親に聞きながら作るのだと、庭の隅を耕し始めているらしい。料理も美味しく手順良く作り、夢のようだと彼は喜んでいる。同居をいとわぬ彼女だったが、彼の希望で実家近くに新居を借りて新婚生活が開始した。「色々あったけど、今は幸せだ」とポツリと言った寡黙な父の言葉が心に染みる。幸せにあれ♪

埼玉県西部在住 30代男性 成婚事例⑤齋藤企画の成婚一号!母に頼まれ探したお嫁さん。
 結婚式場勤務の折に「今日結婚式の娘の兄がまだ一人でいて、家を出ないで困っています。顔の広い所でどなたか良い方がいらしたら是非ご紹介下さい」その言葉にスイッチON。頼まれるとイヤとは言わない言えない性分で「判りました宜しいですよ」と即答。それから頭の中は忙しくご縁組が動き始めた。

 結婚式場での何度かの打ち合わせで家族構成や人柄を知り、披露宴司会の打合せでは相応しいお相手の雰囲気が伝わってきた。3年前に結婚したSさんの妹さんはまだ実家におられるかな?結婚されているかな?そう思いながらの久々にご自宅に伺うと大歓迎して下さった。世間話から近況報告、そして結婚は考えてはいるけれどお相手がいないとの事で、とても喜んでくれた。ご本人に逢い「お逢いしてみたら?」に早速お見合いが決まり、自然体の楽しい会話の中で、私とお2人のプチお食事会になり話は大いに弾んだ。そして私は一足先に帰宅。帰り際に「何度かお逢いしてみたら?」と伝え、その後のお話と交際については2人にお任せした。

 翌日「又お逢いしたいです」との彼女からの明るい声に、嬉しい予感。時々交際の報告を受けて、相談にのりながら見守った3ヶ月。そしてプロポーズ。溢れるほどの情報がある昨今で条件ばかりに気を取られてか、お見合いすらも出来にくい昨今の現状を思うと、あの時代は地域のお節介叔母さんが大いにまかり通ったのだろう。2人の笑顔とご両親のお喜びにいかばかりか。地域の少ない情報の中でのご縁組みではあったけれど、不思議と成婚が続き益々前向きに紹介への意欲が湧いて来た。

 寂静の大好きな仲人、そして定年のない仕事が魅力的で1999年9月に起業し協会に所属した。その後も依頼は続き「親戚の長女にご養子を・・・」「実家の長男にお嫁さんを・・・」等の田舎の口コミが続いた。会社設立後はボランティアではなく、入会金、月会費の料金が設定された。気楽にお引き合せをしてご馳走をしながらの食事会スタイルが料金設定で一挙に変わり、私自身戸惑い抵抗もあった。この2人の結婚を礎にして「結婚相談所埼玉、齋藤企画」が誕生した事になり、心から深い感謝の念を抱いている。開業後暫くは、兄が無料で弟が有料の様な状況が続き、戸惑ったがご理解頂いた。

 寂静の仲人第一号のおふたりはすでに3人のお子様も自立され、お孫さんが5人。ご夫婦は退職後、住み慣れた山里の我が家で花作りと農作業に勤しみ楽しく毎日。週末に訪れる3家族は日頃の家事や雑務を忘れて羽を伸ばし、孫達の絶え間ない歓声が山々に響き渡り幸せ時間だと言う。今、寂静が仲人としてご縁組みを続けていられるのは、このお2人の成婚・結婚がきっかけとなった事は間違いなく、あの時「誰か良い方いたらご紹介下さい」の言葉がなかったら、48年間、568組の成婚はなかったろう。
まさに今の寂静を創ってくれたのはその2人。感慨深く思い返し感謝感謝である。

40代の成婚事例

埼玉県西部在住 40代女性 成婚事例①お琴一筋の先生がお弟子さんの結婚をきっかけに来社
 上品な話しぶりで丁寧に自己紹介をして下さり電話口の会話は始まった。表示してある電話番号はあまり見覚えがなく、伺うと東京都下との事。お仕事はお琴の先生で、お弟子さんが多く毎日が夢中多忙の日々だと爽やかな話しぶりである。最近当社で結婚を決めたお弟子さんから、「結婚相談所埼玉」の結婚は、何でも相談出来るから安心でカウンセリングの時間が楽しかったと聞いて連絡をしてくれた。そう言えば、趣味にお琴と記載されていて今も週一回のお稽古は欠かさないと話していたSさん。

 昨今、婚活アプリが巷に浸透し多く情報が飛びかう中で、その波に乗れず益々自信を無くし落ち込む方の相談が急増の中で、成婚まで寄り添う「仲人型婚活」の良さが見直されていて有難い事だ。事務的な操作はともかく、人の心はパソコンでは繋げないし、人の心、ましてや婚活中の心の機微など尚更掴めない。定期的なカウンセリングの時間は、忙しい日々の中での止まり木でありたいと思っている。翌週ら来社されたお琴の師範の方は、多忙過ぎて出逢いがなかったと言うけれど、聡明で気品溢れる方だから出逢いはあったはず。只、ご本人はひたすら仕事と向き合い気付かなかったのだろう。ネットで見ると43歳でこの道では知らない人はいない凄い師範らしい。人並みの生活もしたいし、くつろげる家庭が欲しいと目を輝かせて話してくれた。

 婚活開始に辺り、週一回はお稽古を休みいよいよ準備完了。当初は肩書きのきらびやかにお申し込みは予想外に少なく、仲人同士のご縁組み会議で紹介することにした。40余年の仲人業は多くの仲間もいて、その信頼関係は揺るがぬもので、双方の人柄を伝え合いお見合いは成立した。一つ年下の男性は、ごく普通の誠実勤勉温厚な優しい会社員だったが、なんと趣味は和楽器だった。彼女の指導する定期演奏会や彼女の演奏会には必ず出掛け、豊かな時間の中で一挙に縁は近付いた。こんな事ってあるんだと仲人も改めて感動の中で、2人は自然な形で結婚を決めた。間もなく私宛の招待状も届き優美な時を過ごさせて頂いた。娘の結婚を諦めかけていたご両親は、只々ひたすら喜んでいるらしい。「おめでとう」が嬉しい、ご両親の「ありがとう」が心に染みる。僅かなきっかけが創り出す新しい人生、口コミの縁、お相手を探す気持ちに良縁は巡る。

埼玉県西部在住 40代女性 成婚事例②46才の嬉しい出産
 高校を卒業してから地元の企業に勤務し、先月勤続25年の表彰をされたと、新規見学の彼女は爽やかな笑顔で話してくれた。商業高校で簿記資格を取得し、経理は大好きでとても遣り甲斐があり会社の雰囲気も良くて働き易いらしい。20~30代は、親や親戚が、結婚しなさいと言っては次々にお見合い写真を持参して来たが、その頃は結婚を全く考えなかったから、お見合い写真も一度も見る事なく部屋に積まれていった。それならば家を出て自立しなさいとの母の言葉に、確かにそれもそうだと実家を出てアパートの一人暮らしが始まった。仕事も楽しく独身仲間と趣味の山登りを楽しみ、あっという間に10年経過。40代も中頃になり親も親戚も自分の結婚を諦めたのか、結婚しないものだと思ったのか結婚話は完全に消え去り、ふと気付いたのだと話す。

 会社の経理を任され遣り甲斐もあるけど、此の儘一人暮らしを続け年をとっていくだけなのかなぁと思ったら、にわかに結婚が浮かん出来たとの事。結婚の夢を伺うと彼女の瞳は輝いた。お相手に多くを望む事もなく、真面目で誠実な方で休日はのんびり2人で旅行や買い物に出掛けたいのだと。仲良くスーパーで買い物をするご夫婦の姿があこがれで、出来たら子供が欲しいとも。結婚相談所埼玉の当社は、結婚が決まると結婚祝いの品物と希望される方には「初めての妊娠&出産」の本をプレゼントしている。妊娠してから読むより結婚後に早めに読んでほしいし、とても役立ったとのお礼も頂き嬉しくて続けている。いざ婚活。数回のお見合いの不調もあったが、温厚で物静かな二才年上の会社員と結婚を決めた。披露宴も2人の人気の程を伺わせ大いに盛り上がったらしい。後日、披露宴の写真を持参した母の笑顔は、安堵が伝わり嬉しさが伝わる。

 そして、季節が替わり木の葉の色付く頃に電話が鳴った。「赤ちゃん出来ました。出産は来年の春です」途中ご主人に電話を替わり、親になる幸せを噛み締めていた。46才の出産を心配する声もあったが、医師からは全く問題なく体重コントロールだけを注意されたらしい。そして、翌年の春、そろそろかなぁ~と気になり出した頃、「女の子、産まれましたぁ」の電話。母子共に元気!おめでとう!仲人の至福。健やかにあれ、幸せにあれ。新しい感動に新しい元気が湧く。「人生は、創るもの」

埼玉県中部在住 40代女性 成婚事例③3人のお子達を連れて初婚男性に嫁ぐ
 「もしもし」明るい女性からの電話でこの婚活物語は始まった。男の子3人のシングルマザーで離婚し3年半が経過し、やっと落ち着いた生活の中で、改めて家族らしい楽しい家庭が創りたいと埼玉結婚相談所、齋藤企画に電話をくれた。元夫は働いたり働かなかったり、時に暴力もあり、子供達から離婚を勧められたのだと話す。40歳代の元気はつらつな彼女は、勤続20年の看護師さん。児童扶養手当と自分のお給料で贅沢をしなければ生活は充分出来るので、経済的には心配はないとの事。高校、中学、小学生の男子ばかりで、食事や仕事で忙しくもあるが、子供たちが協力的で、何より穏やかな暮らしに改めて子供達が離婚を喜んでいるとか。再婚の話も子供達からで、一挙に結婚に向けて彼女は気持ちにスイッチが入った。昨今、会社を辞めたくない女性が多い中で、「国家資格があるし何処でも働けます。良い人なら良いんです」と、前向きな笑顔が印象に残った。

 お子さん連れの再婚の為、何人かの男性をご紹介しても、イヤと言う事ではないのですが子供さん3人の親になる自信がないです・と、お見合い動き出しには少々の時間を要した。そして、夜勤明けで出掛けた3回目のお見合いで、温厚爽やかな彼と出逢い、話し易さと優しさと温かさに惹かれたと言う。彼女が一番苦労し一番望んでいた人柄だったし、一つ年下の彼は彼女の頑張る前向きな姿に好感を持ち護ってあげたいと思ったと話す。交際は順調に進み、2人の恋は幸せいっぱいの儘、結婚を決めた。その彼は、お見合い前から「僕、子供好きなんです」と話していたから、すでにその頃から赤い糸に結ばれていたのかも。そして、5回目のデートからは子供達の都合にも合わせて、遊園地やハイキングに出掛けて楽しい思い出が増えた。

 自然体で動き出した良縁は、子供達の春休みを利用しての、親子の大移動となった。引っ越し業者はお金が掛かるからと、埼玉県鴻巣市から栃木県佐野市に、軽トラックをレンタルしての何往復も繰り返し、そのすべてが楽しくて仕方がなかったとの報告。一か月後、転居のお知らせ葉書に「来週は、父親参観日です」と一言書き添えてあり、その後の電話では、息子たちの成績の良さを「自分はこんなに頭が良くなかった」と嬉しそうに話す彼は新米だがすっかりパパ。幸い彼の職場は栃木で、転職せず、子供達も部活等に張り切り、彼女はすでに近所の病院で勤務している。今まで叶えられなかった「普通の幸せ」を叶え、皆で楽しく暮らしている。

埼玉県西部在住 40代女性 成婚事例④彼女の部下は男性だが恋の対象なし婚活し初恋を経験
 幼少時から文武両道で、水泳、絵画、珠算にピアノと、多くのお稽古をたしなみ沢山の表彰をされた彼女は、只今42歳の管理職。中学高校は首席で卒業し大学も国立大の数少ない学部に学ぶも良縁に逢えず結婚相談所埼玉の婚活卒業生に紹介されて来社をした。専門分野の研究に勤しみ業界では知る人ぞ知る有名な方と伺った。すごっ!

 幼稚園教諭の母親は家の中をいつも幼稚園の様に飾り付け、ガラス窓や部屋は四季折々で勿論毎月のイベントの飾りで、子供心にとても嬉しかったと話してくれた。小学校、中学、高校~大学と多くの友人に恵まれサークル活動の仲間との旅行も沢山経験し、楽しく充実した時間を過ごしていた。周りの友人達が彼や彼女の話を楽しそうにしている中にいても、相手がいないから仕方ないと思い、楽しくその話に加わっていた。「結婚もしたいし出来たら子供も欲しいんです」と、結婚相談所埼玉を訪れた彼女は、当初から熱心にメモを取りながら、結婚へのアドバイスもプロセスも真剣に聞いてくれた。お相手に望む事は?の質問に、容姿でも年収でもなく「面白い人が良いんです」だった。お相手への希望欄に「面白い人」とは書きにくいので「一緒にいて楽しい方」と掲載し、いよいよ婚活開始♪4回目までのお見合いは、同じ様な理由でのお断わりが続いた。「友達なら良いんですがそれ以上の気持ちになれず結婚のイメージが湧きません」と。

 そして、縁がなければ仕方ないと気持ち切り替えての5回目のお見合いで良縁は巡った♪
自然体で話が合い話し易く、逢う毎に気持ちが膨らみ楽しい交際が熱い交際に変わった。結婚に向けて双方のご両親への挨拶等、にわかに動き始めた2人の結婚。彼は三つ年上の大手IT企業のSEで、穏やかおっとりタイプのやはり管理職である。彼も結婚は考えてはいたが積極的な婚活をする気もなく、親にせっつかれてしぶしぶ来社したのだった。そう言えば浮かぬ顔してお見合いのアドバイスを聞いていたような。

 デートの行き先は彼女が決め彼は楽しく着いて行った。彼にとっても初めての恋?で「2人共初恋の人なんです!」と彼女は嬉しそうにケタケタ笑って報告してくれた♪「待っても逢えませんでしたが、探せば本当に逢えるんですねぇ」彼女の弾んだ言葉♪「でしょぉ~!」と寂静も実感。披露宴は角界からの臨席も仰いで盛大だったと聞いた。彼女の部下達が披露宴の余興で大いに盛り上げ賑わせ皆を笑わせてくれたらしい。
都内マンションで仲良く暮らし、年に二回の海外旅行を楽しんでいる。

埼玉県西部在住 40代女性 成婚事例⑤預金が趣味の彼女は恋をして変わった
 高校を卒業し就職をしてから10年が過ぎたが、実家暮らしを続けている彼女は41歳の大手企業の会社員。親が自立を促しても一向に実家を出たがらず今日に至った。通勤に便利な事と生活のすべてが親任せで気楽な上、幼なじみも近くに沢山いるし、とても快適な暮らしだと話してくれた。就職が決まり生活費を親に渡そうとしたら「光熱費や食費はいらないから、将来の為にしっかり預金しなさい」と両親に言われたらしい。「そうなんだぁ」と親の教えに添って預金に精を出し始めた彼女だったが、いつしか預金が趣味になり預金高が毎月増え続ける事が楽しくて、同僚との食事会や同級生との年2回の旅行もお金が勿体ないと思うようになり、誘いを断わる様になった。そして、とうとう誰からのお誘いもなくなり会社と家との味気ない往復生活が繰り返された。

 結婚相談所埼玉の新規見学相談に母と来社した彼女は、結婚を心配する母に促されての来社だと話す。趣味を聞くと「預金です。私預金が趣味なんです。もう○○円貯まりました。」と爽やかに誇らしげに言い、必要最低限の物のみ購入し増えている残高を見るのが楽しいと笑顔。今まで多くの親御さんにお逢いしたが、25歳になったら自立なさいと言っていた家庭で育った方は、就職と同時に自然に自立の準備を始めていたりする。預金の他に趣味はありますか?に、彼女は「ありません」とキッパリ言い切った。母は「年も年だし疲れたから夫と2人でのんびり暮らしたい」と打ち明けた。預金はとても大事だが、お金はいかに使うかも大事。お金の使い方が判らないと結婚生活は難しいのでは?と話して、入会を保留にしてお帰り頂く事にした。

 新規面談に際して、「この方と結婚したらお相手は幸せだろうなぁ~」と思うその気持が仲人を動かし良縁が生まれるのは確かだ。2ヶ月過ぎ「一人で伺いたいのですが」と彼女からの電話が入り来社頂いた。旅行していた友人とも疎遠になり会社でも親しく話せる同僚もなく、帰宅しても特に会話もなく味気なく寂しく辛いと打ち明けた。何もかもが預金が趣味だからではないけれど、その為に失った友人や同僚との交流は計り知れないだろう。何かを変えないと新しい未来は見えて来ないのかも知れない。将来の為の預金より、今の自分の為にお金を遣おうよ。友人にも久々に連絡してごらん。これから貴女を支えてくれるのは結婚相手もそうだけど、友人や同僚だと思うよ。

 間もなく自立を決めた彼女は駅近くのアパートに引っ越し婚活も開始した。出来たら子供もほしいと言う彼女は、最近美容室でお化粧も習い、随分綺麗になったし、お給料日だったからとケーキを持参し、明るくなった彼女にびっくりした。交際経験がない彼女はお見合い当初はかなり緊張していたが季節が一回りした頃、2歳年下の爽やかで温厚な公務員と結婚を決めた。時々帰る実家では両親との会話が増えたと嬉しそうに報告する彼女の隣に、穏やかな笑顔の彼が座っている。幸せにあれ。

埼玉県秩父地域在住 40代男性 成婚事例①失恋から立ち直り無邪気な女性との結婚が人生を変えた
 「初めて電話しました。いつも読売新聞の地域版「日々の想い」を読んでます。国道沿いの立て看板もHPのブログも見てます・・」と彼は、以前から当社を知っていた事を話してくれた。時々通る道で結婚相談の立て看板を見つけた頃は、まだ彼女もいなかったし敢えて結婚を考えることなく、週末の趣味仲間とのツーリングに夢中だったとか。そして翌週、彼は来社。暫く世間話で寂静が聞きた事もない、ツーリングの世界の面白さを教えてくれた。

 そして、当社の成婚へのプロセスを一通り話し終わった時、彼は、最近の心境を思い切ったように話し始め、結婚を考えていた彼女に振られた事を打ち明けた。言葉を選びながら、気持ちをまとめながらの話に、切ない胸の内が伝わる。この段階で「縁がなければ仕方がないよね」なんて言えない。今はひたすら彼の思いの程をしっかり聞き受け止める事しか出来そうにない。

 彼女は同僚で仕事での接点も多く自然に交際がスタートしたらしい。3年が過ぎいつしか社内でも2人の交際は温かく広がり、心地良い時間の中で少しづつ結婚も考え始め、プロポーズも快諾され、双方のご両親への挨拶日程を決めていた。いつもの様に届いたいつもの時間のメールには、「結婚する自信がなくなくなりました。ごめんなさい」とあった。周りの祝福も受けて結婚に向けて具体的に動いていただけに、事実として受け止められずすぐ電話を掛けた。電話口で彼女の父親が「随分悩んで決めたようです」と言葉少なに話してくれた。やり直せる僅かな希望も消え、随分悩み落ち込んだが新たに結婚を考え勇気を出して電話をしたのだと話す。縁がなければお相手とはサヨナラが相応しい。切ないけど仕方ない。好きだった人の幸せを祈って爽やかに「アバヨ!」って言おう。

 カウンセリングの時を経て、気持ち新たに開始した婚活7か月目で時熟し、5歳年下の明朗無邪気な可愛い女性と結婚を決めた。毎日がとても楽しいと写真入りの年賀状の近況報告は嬉しく有難い。あれから10年、近くのスーパーで偶然逢った2人は子育て真っ最中のパパとママ。あの時、勇気を出して掛けてくれた電話が今日の幸せを創ったのだ。人生は創るもの。やったね!

埼玉県秩父地域在住 40代男性 成婚事例②ある刑事の結婚
 年令とか性別とは別に、職業からにじみ出る雰囲気が人には多少なりともあるらしい。それが婚活になると多少なりともではなく、大きく影響する事もあると仲人として実感する時アリ。

 息子の事で相談したいと電話を掛けて来られた母は、「私の知ってる限り、異性との交際はありません」ときっぱり言い切り、男友達はいても彼女の気配は全くなく、早く家を出てほしいと母は続けた。次男が自立すれば、10年程前に結婚した長男が実家に戻る予定らしい。それを本人も判っているのに出て行きそうにないらしい。いつも読んでいる「結婚相談所埼玉」の当社の読売新聞地域版「埼北よみうり」を見て、どうしたものか相談したいと思ったらしい。「ご本人に結婚のお気持ちはおありですか?」に、「しないと決めたわけじゃないと威張ってます」と。母とのやり取りの重苦しさとぎくしゃくが伝わった。その電話の一週間後に来社した彼は、真面目さが漂う爽やかな警察官で40代には見えない若々しさ、話を始めると話題の豊富さに引き込まれた。母の一言で来社を決めたらしいが、親に言われたからの来社ではなく、自分なりに結婚は考えていたがきっかけが掴めなかったと打ち明けた。

 そして、いよいよ婚活スタート、一か月後に初めてのお見合いが決まり、緊張しながらも会話は頑張ったとの事で、彼女からのお返事待ちとなった。互いの好感度はすこぶる良く順調に交際へと一歩前進。2人で連絡を取り合い、お逢いして下さいと伝え、定期的な交際報告では楽しい時間を過ごしていますとの事で、相談事があったら何時でもしてねと伝え、仲人としてひたすら良縁を祈った。あとは「自然体の相性」で決めるのは2人の気持。二か月が経過し、彼女は交際白紙の旨の電話あり。うっそぉ?!。「人柄も良く安定したお仕事で、申し分ないのですが・、」と、暫く彼への誉め言葉や楽しいデートの様子が、実況中継の様に彼女の口から鮮明に映し出された。それで?!。 「レストランや喫茶店に入り席を決めると、彼は必ず「貴女はそこに座って!」と言うんです」えっ?!それで?!「その口調が強くて・、それに目つきも鋭くて、それで・、私思ったんです。私は犯人じゃないって・」言葉を選びながらの説明に彼女の優しさと、断る覚悟の強さが垣間見えた。取調室での刑事の言葉の様だったらしい。判った!彼に聞くと、「そうですかぁ、そうかも知れません」と。

 その後、三回目のお見合いで超活発で元気の良い10歳年下の女性と結婚を決め、積極的な彼女に苦笑いしながらの彼の笑顔は輝いていた。本人の喜びは勿論、母の喜びはひとしおで挨拶に来社の際には涙を流し、その感動ぶりにもらい泣き。数年後、テレビで犯人逮捕の時の映像に一緒に映った凛々しい彼を見た時、成婚の感動は益々膨らんだ。人生、きっかけって大事。

埼玉県西部在住 40代男性 成婚事例③英語教師の結婚
 「ご近所の方に聞きまして・」と、息子の結婚を案じる電話に母の焦りの色が伝わる。今日は息子も帰宅が早いので、自宅に来て頂けませんか?ご両親ご一緒の説明は家庭環境も判り有難く、隣町のご自宅へ。立派なお屋敷で門から玄関までは遠く、見事な日本建築。凄いなぁ♪「良く来て下さいました」と平身低頭のご両親の横に、40代の長男が緊張気味に正座。仕事は中学校教師で英語を担当し、学年主任も任され部活はテニス部顧問とご両親が紹介。

 信頼できる親戚や知人の紹介で約10年の間に、20回はお見合いをこなしたがお断わりばかり。「話が出来ない」事が理由でしたと母は嘆く。幼少時から大人しくて手の掛からない子だったらしい。ご両親の隣に鎮座する彼は、私からの質問には答えはするが、話にのる事はなく相槌だけで会話は一向に盛り上がる事はない。会話力?コミュニケーション能力?この感じではお見合いは難しいかも。真面目誠実さは伝わるが、会話なくして無論膨らみ様もない。その辺りが仲人としてひどく気になるし要カウンセリングを実感。成婚までのプロセスと仲人の姿勢を伝えると「是非お願いしたい」とのご両親の言葉に、代々の家を絶やせぬ想いが切なく伝わる。お相手ある事、すぐ結婚出来るとは限らないが、誠実にお手伝いをする事を約束。

 後日、書類確認後、当社スタジオでカメラマンがお見合い写真を撮影後、今後の婚活に向けて会話のコツや所作のカウンセリング開始。一か月後初めてのお見合いの晩「話は頑張りました」と彼からの報告の後、会話が出来なかった事での、お断りが入った。学校では生徒や先生方との活発な姿が見受けられ、人気もあり楽しい先生なのに、何故かお見合いだけが難しい。英語の先生だから英語なら良いのかなぁ。「そう言う事ではないんです」だよね。

 予め人柄の良さや大人しい方だとお伝えして、お見合い7度目で快活明朗な8歳年下の保育士さんと結婚を決めた。そして、披露宴にはクラス全員のサプライズが盛り上げ「最近帰りが早いから、おかしいと思いました」との生徒の祝辞。生徒に慕われる彼の人気ぶりに来賓の盛大な拍手が響いた。出逢えればすぐ結婚とは限らない。自信を持ち貴方らしさの中で、自然体で安らげる良縁に努め、早い結婚より相応しい結婚を応援したい!

埼玉県西部在住 40代男性 成婚事例④家族で手紙を開ける習慣
 仲人業開設当時の事。「隣組の人に結婚相手を探してくれる仲人が嵐山町にいると聞いた」と、ご両親と一緒に見学に訪れたSさん。大手企業の地元工場に勤務し、大人しく真面目なSさんは、男子ばかりの3人兄弟の長男で43歳。次男は結婚し家を出ており、三男は会社の寮に入っている。地域性もあって長男は跡継ぎで、次男三男は、早く家を出て自立するように育てており、彼も跡継ぎであることを意識していたし、地域ではそれが当たり前で自然だった。「お相手はどんな方が?」と聞いても「判らないです・」と言葉少なで、ご両親と私の会話にも入りにくい彼だった。恋愛経験はなく、異性との会話や交際が苦手だろう。代々続く家の跡継ぎであり、親の期待も大きくてその不安もあるのだろう・。はっきり言えないと言うより、結婚の実感が湧かず「判らない」のだろう。

 入会にあったってのカウンセリングの後に、具体的な打ち合わせが始まり、お見合いのお申し込みが続き、お相手のプロフィールを本人宛てに郵送した。何故か毎回、手紙の返事は父親からの電話で「お見合い断ってください」と言うのも父。うっそぉ~、マジ?!。「ご本人のお気持ちですか?」に父は「ハイ」とは返答するが・。

 来社時、改めて彼に聞いた。「貴男の家は、郵便物誰が開けるの?」「「うちは全部父です。家族ですから誰でも同じですし」と。その後、その行為は望ましくない事をじっくり伝え、ご両親にも判って頂き、それからは彼が開封するようになった。ルックスも良く穏やかで優しい人柄の良さも手伝い、お見合いお申し込みも交際も前向きに進んだ。そして、超積極的な女性な方とのお見合いで、あっと言う間に結婚が近付いた。ご両家への挨拶も申し納め、披露宴会場を決める時に、地元の慣例に従い自宅大広間を希望する両親にお相手の両親はたまげてしまったが、彼女が逞しく判り易く自分の両親を説得し、穏やかに事なきを得た。80人ほどの披露宴は延々二日続き、ご両親はおもてなしに幸せな笑顔で応えていた。実家の大きな敷地の中に、新居を建てて新婚生活開始。お嫁さんはまさにお母さんそっくりの、いやそれ以上の逞しい活発な女性で、お嫁さんの言うがままに嬉しそうな彼が、自然体で格好良かった。あれから35年が経って子供達はすでに結婚し、穏やかな2人の生活が始まった。彼は今、益々逞しい妻に支えられ、畑仕事に精を出している。

埼玉県西部在住 40代男性 成婚事例⑤「仕事が多忙」と婚活拒否、結局作れば時間はあった
 大学を卒業後、専門分野の修得を望み改めて学び直した彼は、希望通りの会社に就職後、10余年が過ぎた。責任ある仕事を任され夢中に研究に取り組み充実していると言う。

 結婚を案じ続けていた親は、親戚や知人からの縁談をその都度見せてはいたが、一向に耳を傾けない息子に、堪忍袋の緒が切れたと「結婚相談所・埼玉」の当社を訪れた。「息子の結婚を見届けなければ死ぬに死ねない、それだけが悩みで他には思い残すことはない」と言い切る親御さんに、本気の念が伺える。「結婚して良し、しなくて良し」「人生は人それぞれ、悔いなく生きる事」なぁんて、言っている場合じゃない。「結婚イコール幸せ」そう思う親御さんの気持ちも痛いほど判る。連日の様に口うるさく言うのではなく、今後の事を心底心配していることを温かく伝え、自分の人生をどう考えているのか、その気持ちを穏やかに真剣に聞く事が大切だとアドバイスした。親の言う事は、大半、的を得ていて最もな話だから、尚更聞きたくないのが子供の当然の心理デアル。「気が向いたら来るように言ってください」と話すと、早速本人からの予約電話が入った。あっさりと来社の日時を決めた彼は、電話口で「結婚しないと決めているわけじゃないのですが、相手がいないのに結婚しなさいと強く言われて・・・本当に困っていました」と、本音を話してくれた。

 いつもの様に「仕事の代わりはいても、貴男の代わりはいない」事と「年令は大切な財産」だと伝えたけれど、判っているのである。来社し世間話を挟んだ話は盛り上がり、かつて結婚を考えたお相手からのお断りに深く傷ついた失恋の痛手を打ち開けた。その気持をずっと引きずり、結婚する気にはならなかったとも言った。風の便りに彼女が結婚したことを知り、気持ちにけじめがついたのだろう。「仕事は好きな分野だから確かに面白いが、結婚もしたいから時間をとるようにします。今までは時間があると仕事していましたから」と言い、敢えて結婚を遠ざけ仕事に逃げていた思いを明かした。親のきっかけが功を奏して、彼の気持ちは結婚に向けて熟し始めた。実家に遊びに来る甥や姪が可愛いと話し、子供が欲しいと結婚の夢を笑顔で語った。親御さんは結婚が決まったかのように、入会を大いに喜んでくれた。

 お見合い不調も続いたが、条件と笑顔とひたすらの婚活頑張りが功を奏し、隣町のひとつ年上の穏やかな女性と、ほどなく結婚を決めた。良縁は実る時は早い。新居の準備も始まり母の笑顔が輝いている。
「動けば縁も運も動く、人生は創れる」「近道は始める事」「親がきっかけを」

埼玉県西部在住 40代男性 成婚事例⑥40代男給与は愛車に遣い生活費はバイト、結婚考え預金開始新居購入
 もう直ぐ50歳の誕生日を迎える大手企業管理職の彼は温厚な人柄もあり、会社からの人望も厚く爽やかで好感度はすこぶる良い。彼と同期入社で結婚相談所埼玉の婚活卒業生の方の紹介で新規来社した。何となく結婚が遠ざかってしまった理由を話してくれた。

 25歳の頃、仕事にも慣れて車に興味を持ち始めた頃に、友人と車にはまり見よう見まねで部品交換をしたりしているうちに益々夢中になり「車が命」と思うくらいに片時も車の事が離れなかったと言う。お給料が入ると車の為にだけすべて遣い、それでは生活が出来ないからと夜のファミレスでお皿洗いのアルバイトもしていた。一日の睡眠時間は3時間程だったが、若さと車への情熱は覚める事なく続いた。結局、一緒に始めた友人はいつしか車への熱も徐々に冷めて、真面目な会社員に戻った。

 彼も真面目に仕事はしていたが、週末の休みはいつも車に没頭していた為、デートと言えば車を整備する彼の傍にいることぐらいで女性は皆去って行った。結局、長続きをした恋はひとつもなく、時間だけが流れた。車以上に好きになる人はいなかったとまことしやかな彼の言葉ではあったが、結局家族も親戚もあきれ果てて、誰からも放っておかれることになった。徐々に車仲間が去って、気が付くと45歳を過ぎていた。ある日、日頃は寡黙で何も話をしなかった父親が「結婚してもしなくても構わないし、好きな事をするのも良いが、そろそろ自分の人生を考えた方が良いのではないか?」と諭し、「この際、実家を出て自立してほしい。自分は高齢だが、これからの自分の事は心配はいらない」とも話した。穏やかな口調ではあったが、初めて見た父の真剣な表情に体が固まったと言う。今日までを振り返り車に夢中だっただけの20年だったと実感した。

 そして結婚相談所埼玉に来社し結婚への始めの一歩が動き出した。口下手な彼は交際に入るものの会話に戸惑い、不調が続き、落ち込んだり苦戦を強いられた。お見合い12回目に話が弾んだ10歳年下の病院勤務の超元気な方と結婚を決めた。デート4回に2ヶ月の交際は2人の気持ちを一挙に押し上げた。真面目勤勉で年収も多かったので預金は順調に残高を増やしていった。

 そして、駅近で通勤にも買い物にも便利な閑静な場所に一戸建てを購入。夢に描いていた幸せが彼女との出会いで現実になった。お料理が好きな2人は「今日の夕飯」をラインで送り合い、楽しんでいた。高齢の彼の両親は諦めていただけに、ひときわ喜んでいる。父の一言が彼を動かした。「こんな人を好きになるには初めてです」そう言って新婚旅行のハワイのお土産を持参。彼の輝く笑顔を見て「こんなに幸せそうな笑顔見たのは初めて」と思った。

埼玉県西部在住 40代男性 成婚事例⑦不調続きだったが待った甲斐あり最愛の方と結婚
 ご両親と新規見学相談に訪れたY君は、見るからに実直誠実な会社員で趣味も多才な品の良い青年である。男の子兄弟で育ったせいか異性への自己表現が苦手な様子で、自分でも異性との会話や交際に自信がないと話してくれた。人柄はそれはそれで個性であるから自然体で居心地の良い方をお探しすれば良く、それが幸せの約束になるのだ。

 過去の恋愛を伺うと、交際を続けて3年が経った頃に何となく連絡を取らなくなって自然消滅になってしまった事があったと話す。その頃は一緒に出掛けていても食事をして話をしていても、彼女の表情が楽しそうではなかったので、嫌な予感がしたらしい。そんな時、話をして気持ちを聞き出す事も出来ぬ儘に時間が過ぎて、今でも時々思い出していると打ち明けてくれた。

 婚活が始動し、お見合いが始まると彼の父親から電話が入り結婚の条件が示された。「長男として家を継ぐ気持で育てて来たので、跡取りとなる様な相応しいお相手を探してほしい」と。その事は本人には伝えていないと父は言った。その話をすると彼は驚いたが、いかんせん本人の結婚だから知らないでは済まされないので、父の考えとして伝える事にしたが、彼は驚きつつそのつもりはないと言い切った。かつて跡取りの問題で良縁を諦めるしかない方々がいた時代があったが、まずは二人が幸せになるのが大前提と考える時代に変わり、昨今はそれが主流になっている。その旨をお話し出来るだけそのご希望に添うように努めるとして、婚活が始動した。

 その条件もさることながら、会話が苦手で大人しい彼の事だから、お見合いは組めてもお見合いから交際へ進む事はなく落ち込む彼。お断りの理由は「大人しく声が小さく結婚のイメージが湧かない」とか「話していて楽しくないし楽しそうじゃない」と。仲人はお見合いに向けての会話や所作のアドバイスはするが、お見合い当日居合わせる訳ではないので本人のその時の言動の詳細は判らない。お相手から縁に至らぬ理由を改めて伺い、そこから学び再度会話の特訓を開始した。只、無口が欠点ではないからその辺りは気持ちを包み込んで伝え、会話のコツをアドバイスした。

 一か月してお見合いが再始動しそして2回目のお見合いで、会話の楽しい活発な一流企業の女性と出逢い、にわかに結婚が近付いた。自然体で会話も気持ちも盛り上がる奇跡。3度目のデートでプロポーズ。彼女は彼の純粋で綺麗な気持ちが大好きと幸せそう♪新居は彼女の勤務先の近い都内になったが、今両親は二人の幸せそうな笑顔を見て、跡継ぎの話はしなくなった。結婚した二人が幸せになり仲良く暮らす事が一番大切な事。繰り返すお見合いの不調が続き、心が折れて、結婚なんかしなくて良いと思い悩んだ時も随分あったが、諦めないで良かったと彼はしみじみ繰り返し話す。

 プロポーズに快諾頂いてから彼女の故郷の札幌に行き、両親や親族に挨拶を済ませた。「良縁はあるんですね」ポツリと言う彼は満面の笑みで、こんなに嬉しそうな彼の笑顔を見たのは初めて、仲人をしていて良かったといつもの事ながらウルウルした。成婚時に提出する「成婚アンケート」の婚活在校生に宛てた言葉には「焦らず諦めず悩まず信じて頑張ってほしい」とあった。幸せにあれ♪

50代の成婚事例

埼玉県北部在住 50代女性 成婚事例①婚約指輪よりルンバが欲しい
 穏やかな人柄で誰にでも優しく包み込める聡明なSさんは、元来の子供好きで幼稚園教諭の資格を取得し、責任ある立場で勤務を続けていた。父兄からの評判もすこぶる良く、子供達からも慕われていた。30代前半までは結婚話を頂いたが、仕事が楽しく子供達と夢中に過ごすうちに、あっという間に大台に乗りましたと笑った。保母さんや幼稚園の先生は退職の時期が難しいのだと、当社を婚活卒業した方々が言っていたのを思い出す。退職は担任している子達が卒園か進級の時期で、出産は産休の時期を見計らって妊娠の計画をしてほしいと園長先生に言われたとも聞いた。子供達への情熱に敬意を表する反面、そこまで気遣いながらの勤務は大変だろう思った。

 退職の時期が近付き改めて自分の人生を振り返った時、すでに他界した両親の言葉を思い出した。「1人じゃ、生きていけないよ。おまえの将来が心配で、それだけが心残りだよ」と母の繰り返しの言葉らしい。今は女性も自立し経済的には充分に生活できるのだけれど、ご両親はお金の事も含めて結婚し寄り添い支え合う安泰な暮らしを望み、それを見届けたかったに違いない。お見合い開始と同時に、お申し込みの多さもさることながら、お見合い後のお相手からのお返事も良い言葉ばかりで交際を希望する方ばかり。笑顔、優しさ、温かさが、出逢った方々の結婚への気持ちを膨らませたのだろう。結局、4回目にお見合いをした会社役員の3才年上の逞しい方と結婚を決め、楽しい婚約時代を過ごしていた。お互いの仕事を大切にしながら、休日はドライブや映画と今まで経験したことのない幸せなプライベートタイムを満喫していますと報告してくれた。

 暫くして彼から「ご相談があります・」との電話。婚約指輪を一緒に選びに出掛けたいと言ったら、彼女は「いりません、私は自動掃除機が欲しいです」と言ったとか。後日、遊びに来た2人に、婚約指輪は大切な意味のあるものと伝え、結局、掃除機はそれとは別に購入が決まった。長く間一人で頑張っていた女性は、男性に甘えるのが苦手な方が多い。遠慮とか申し訳ないと思う気持ちなのだろう。暫くして送られてきた披露宴写真の飛びっきりの2人の笑顔、そして便箋には「婚約指輪は買って頂いて良かったです。嬉しく感動しました」とあった。良かった!平凡で普通の日の温かい生活を大切に!

埼玉県北部在住 50代女性 成婚事例②「看護師として、充分働きましたから・・・」
 「もしもし・・・」見慣れぬ明るく爽やかな声が携帯から響いた。「結婚相談所埼玉ですか?寂静さんの携帯で宜しいでしょうか?」「はい、そうです」最近はHP業者の営業が多く用心深く対応していたが「結婚のお相手探しをして下さる所ですよね?」にホッとした。成婚された方への「成婚のカウンセリング」が済んだので、ゆっくり話せる。成婚の笑顔に新たなやる気が湧いた時だ。初めての電話とは思えない話し易さで、優しく温かい人柄の良さも伝わる。高卒後、医科大学病院付属の高等看護学校に入学、寮生活で看護学を修得し、卒業後もそのまま大学病院に勤務を続けて今日に至ったと快活に話す。

 二週間後に来社頂き、成婚までのプロセスのご説明後、入会を決め婚活は動き出した。自分の人生を振り返り、熟慮の末に定年を待たずして早期退職を申し出たと言う。結婚の機会はない事はなかったけれど、変則シフトを夢中にこなし専門職のスキルアップに情熱を燃やすうちに、子供がほしいとの想いも薄らいだらしい。役職となり病院の寮も豪華な部屋が与えられ、充実の毎日だったが温かい家庭を持ち、穏やかな生活も望んではいたらしい。ほとんどすべての診療科を経験し、看護学校の教職にも就いて、自分の子には恵まれなかったけど、沢山の患者さんとご家族との交流に、満足していると話す。

 相次いで亡くなったご両親は、彼女の病棟に入院し手厚い看護の中で安らかに旅立ち、両親亡き後は弟が実家継いだ。年末年始の長期の休みは、帰省すると弟家族に迷惑をかけるからと、予めビジネスホテルに予約をして過ごして来たが、それが少し切なかったと寂しそうに打ち明けた。お相手への希望は「穏やかで優しい方」それだけの記載だった。今まで出来なかった家事やお料理、普通の事をやってみたいと微笑み、出来たら趣味の華道と茶道も続けたいとも明るく話し、人柄の良さは写真からもにじみ、お見合いのお申し込みは一挙に舞い込んだ。「折角のご縁ですから、順番にお逢いさせて頂きます」と、プロフィールを見比べ選り好みすることはなかった。そして間もなく、三回目にお見合いをした一つ年下の、穏和で優しい会社役員の男性と結婚を決めた。

 多忙を極め神経を遣いながらの看護師時代は、実に充実していたから満足しているし、新たな人生を歩み始める事が出来て、とても幸せだと笑った。来週、婚約指輪を決めに来社予定。職業柄、指輪も付けたことがなかったからと嬉しそう。幸せにあれ♪

埼玉県東部在住 50代女性 成婚事例③酒乱の夫と離婚、娘も祝福の遠距離恋愛を経て巡った幸せ
 娘が高校2年の時、定職を持たず酒乱で暴力をふるう夫と念願の離婚が成立し、二年がかりの離婚ドラマは幕を閉じた。離婚成立のその時が人生で一番幸せだったと涙ぐみながら話す彼女の横顔に、残酷なほどの結婚生活がしみじみ伝わって来た。夫と別れたことで、びくびく暮らす必要もなくなり、ふたつ掛け持ちしていた仕事も正規で働く看護師一本にしぼる事が出来た。必死にやりくりをして家庭を支え、娘を育てて来たが、今やっと穏やかな時間が巡り毎日が楽しいと言う。55歳になり改めて自分の人生を考えるゆとりが出来て離婚を喜んでいる。離婚して良かったとはよく聞く話だが、暴力もなく穏やかな生活を取り戻した彼女は今幸せをかみしめている。一緒に来社した短大に通う長女は子供が大好きで保育士を目指し勉強中。父親がいなくなって家に帰るのが楽しくなったと話す娘は、普通の家庭を夢見てお母さんに結婚を勧めたのだ。成長した娘との生活は、女同士でもあり洋服や化粧品の事で話が弾み買い物も楽しいと話す。看護師をしているので贅沢をしなければ生活に困る事はなく、それだけに娘の気持ちが心に染みたらしい。埼玉県内とは言え埼玉の東部に位置する住所からは、電車を乗り継いでの二時間以上掛かる嵐山町は随分遠い。それでも結婚相談所埼玉のHPやブログを見て、話を聞きに来て下さった。

 「普通の生活がしたい」それは仕事を持ち、お酒に溺れず、サラ金を借りず、暴力を振るわず、一緒に楽しく食卓を囲む、なんと言うことのないまさに普通の生活である。春休みには母が行った事のないディズニーランドに2人で出掛けるだと嬉しいそう。穏やかな生活を叶えてあげたいとしみじみ思った瞬間。「優しい方なら・・・」と写真を選び始めいよいよ婚活開始。早速申し込まれたお見合い相手は、埼玉県でも彼女とは遥かに遠い秩父の60代の初婚の方で、元公務員の温厚な人柄。趣味は盆栽と釣りで定年した仲間との交流はとても楽しいが、家に帰ると一人で話をする人もなく寂しさが込み上げ、この年齢になって改めて家族が欲しいと思ったのだと言う。8年の介護の後に両親は他界し、それもあったのだろう。

 2人は初対面ながらもすぐに打ち解け、話し易さもあり交際へ進んだ後も日帰りのドライブで県内を巡り時間が合えば長女も一緒に一日を過ごした。彼女にとってはすべてが初めての楽しい出来事で、それは彼も同じだった。そして長女も楽しい時間を満喫し穏やかな時間の中で、2人は結婚を決めた。交際中は行ったり来たりお互いの場所でのデートを楽しみ、いよいよ生活拠点を秩父に移す準備が始まった。彼女も仕事先を地元の病院に変え、長女も町内の保育園での楽しく働いている。三人の旅先での笑顔の写真が賀状で送られ「皆元気にしています」と、一言が添えてあった。穏やかな普通の日のなんと幸せな事。健やかにあれ、幸せにあれ♪

埼玉県北部在住 50代女性 成婚事例④大恋愛で結婚するも倒産離婚、苦労の末に巡った幸せな再婚
 その女性は予定時間少し前に来社、チャイムの音で玄関を開けると「こんにちわ、お約束した○○です」と爽やかな笑顔で挨拶をしてくれた。ハキハキ快活な話しぶりが、魅力的でとてもバイタリティーな方だと一瞬感じた。いつもの様に世間話から始まる会話だったが、とても盛り上がり心地良い時間はあっという間に過ぎて、いよいよ本題の話になった。

 19歳の時に大恋愛の末、8歳年上の建設会社副社長と21歳で結婚し二児をもうけた。夫は優しく子煩悩でもあったし平凡な暮らしながら何不自由なく暮らし、家事や子育てがとても楽しかったと話す。結婚10年が過ぎた頃、夫の会社が多額な負債を抱え倒産に至り、結局離婚を余儀なくされ生活は一変した。彼女は借金こそかぶらなかったが生活は一挙に困窮し、小学生の2人の子供を育てる為に仕事を探し始めた。それまで働いた経験がなかった彼女だったが、少しでも収入の多い友人の母親が経営するスナックで働かせて貰う事になった。その間、実家の母親が子供を見てくれたので何とか頑張れて、無我夢中の生活が続き13年が過ぎた頃、音信不通だった別れた夫が病に倒れ間もなく亡くなった事を知らされた。長女は結婚し、長男は会社の寮と子供達は自立しそれぞれの道を選んで巣立ち、丁度生活が落ち着いた時だった。将来を心配した両親から再婚を促された彼女は、改めて以前のような穏やかな生活がしたいと考え勇気を振り絞って来社したと話す。働き続けいつも疲れた母を見ていた子供達も再婚には大賛成で、気持ち良く結婚に踏み切れそうだと嬉しそうにこれからの夢を語ってくれた。

 明るく天真爛漫誰でパワフル、気さくな人柄は好感が持てた。お見合いはお申し込みを
頂いた順にお逢いさせて頂きますとの事。お相手の理想の条件は「健康で真面目な方でしたら・・・」と謙虚な返事だった。そして二回目のお見合いで8歳年上の方とお見合いして3か月で結婚が決まった。彼にとっては初めてのお見合いでプロフィールの写真を見て気持ちは決めていたらしい。お相手の彼は病気を患い入退院を繰り返した病弱な奥さんの介護を18年続け、二年前に死別された方で、彼女の元気な笑顔に出逢った一瞬で気持ちが決まったと話してくれた。彼には子供がなく彼女も子供達は自立しており、夢だった穏やかな暮らしが実現した。

 休日は彼の得意なゴルフを彼女に教えて、来月はグリーンデビユーだと言う。仕事先で覚えたお料理が功を奏し彼女は大のお料理好きになり色々な料理を作ってくれるし、彼は「今日の夕飯は何だろう」と帰宅が楽しみだと子供の様に笑った。病弱な元妻は体力もなくてお料理をする事はなく、彼がスーパーのお惣菜をお皿に並べるのが夕飯だったと話してくれた。温厚誠実な彼の優しく包み込むような人柄と、幸せを夢見る彼女の笑顔が今の幸せが、時々届く近況報告の頼りに溢れていた。「この方と出逢う為に頑張ってきた気がします」と静かに話す彼の横で「私もです」と言う彼女の満面の笑みは、仲人冥利に尽き、感慨深く感動だった。相応しい縁はある♪
「人生は縁の結び方」「待っていても縁も運も巡らない」「誠実な生き様は幸せを創る」

埼玉県北部在住 50代男性 成婚事例①何でも相手に合わせ嫌われない様に頑張った50代の彼
 婚活の問い合わせ電話は親御さんからも多く、特に同居の子供の結婚を案じての相談は継続している。いつも一緒にいるから、余計に気になって仕方ないのもあるし、近所の同級生の話がイヤでも聞こえてくる地域では、親御さんは気が滅入るらしい。

 生まれてからずっと実家暮らしを続け、職場が実家に近い事を良い事に、1人暮らしなどする気はサラサラない長男。休日は独身仲間とツーリングや海外旅行を満喫し、まさに独身貴族である。親が結婚話を持ちかけてもスルーを繰り返し、結局うるさいなぁ~と喧嘩勃発。それからは帰宅してもリビングを素通りし、足早に自室に籠りお風呂以外は部屋からは出ようとしないと母は嘆く。次男は学生時代の恋愛が膨らみ早々の結婚で、何の心配もいらなかったし、孫はすでに大学生とか。「なんだかもう、疲れました」とため息交じりの母は本当に疲れ果てた様子。母を助けたい気持ちにもなる。衣食住を親に委ねこれ以上の気楽はないが、その先に寂しい老後がないとは限らない。そして、寂静は言った。一度だけ良い真剣に膝を交えて、親子でじっくり話をしてほしい。本人の人生だから、結婚はしても良し、しなくても良し。せめて実家を出て自立を勧めてみては?あくまで親目線ではなく、人生の先輩として語り掛けてほしい。

 この場合、父親の穏和な話しぶりは功を奏し、頑なな息子の気持ちを和らげることが多々ある。あれから一週間。携帯への電話は話を聞きたいと言う本人からだった。日曜日の予約で来社した彼は、爽やか営業マンでどちらかと言えば、異性への自己表現が苦手かも。男兄弟だけの長男にその傾向があるようだ。「探さなければ良縁は結べない」「仕事の代わりはいても、自分の代わりはいない」と伝えた。今までの恋愛を聞くと、結婚を考えていた同僚の彼女に振られたことを、重い口を開き打ち明け、恋愛も結婚も怖くなったとも。縁がなければ幸せ祈ってアバヨと気持ちの切り替えを伝授し、程なく婚活開始。

 聡明容姿端麗な年下の方とのお見合いが順調に交際へと進み、ホッとした頃、お相手彼女から連絡が入った。「良い人なのですが、自分の考えを言ってくれないので何を考えているのか判らないんです」と。確かにそう言う所があるかも。聞けば、振られたくない一心で何でも合わせてしまうとか。結婚の幸せは自然体の安らげる生活だと伝授し、その後一挙に2人の気持ちの距離は近付き成婚した。母の感謝は半端なかった。 「お相手を探す気持ちに縁が巡る」「失恋は将来、華やかな人生の景色を彩る」

埼玉県西部在住 50代男性 成婚事例②ご両親介護後、今自分の幸せの番、手を繋ぐ仲良し夫婦
 専門職としての才能をかわれ、忙しく仕事に専念していた彼は50代の会社員。遠方のご両親の加齢に伴う介護が始まったのを機に、両親を埼玉県の一軒家の自宅に呼び同居が始まった。同居に始まり2人の介護は慣れない事もあり、行政を頼りにはしたが、帰宅後の入浴や着替えの介助、夜中の洗濯等で寝不足が続き疲労困憊に陥ったと言う。あの頃は平常心が保てずどうにかなりそうだったと話す彼。同居して間もなく父が他界し、暫く自宅介護が続いた母も、進行が一挙に進み施設に入所した。兄弟はいたが遠方で頼りにすることが望めず、結局、両親の介護を1人で必死に頑張った彼。そして、改めて自分の人生を考え始めて来社したのは、若葉が萌え出る初夏の頃。

 今まで1人暮らしの時にも考える事がなかった結婚を、何故か急に考え始めたと話す。幼少の頃から今日までの話をその時々の想いと共に語る彼には、両親との多くの思い出と壮絶な介護をやり切った満足感が溢れている。施設入所はお金が掛かり大変だが、今は施設で看て頂き安心して仕事が出来て実に有難いと何度も繰り返す。寂しいですが正直父が亡くなってホッとしています、とも。寂静も10年の介護経験があるが、経験した者でなければ到底判らない人知れぬ苦労あり、本当にお疲れ様と心底思う。帰宅し真っ暗な家の鍵を開け部屋に電気を付ける寂しさは、ご両親と一緒に暮らしていたからこそ感じられる気持ちなのだろう。お相手に多くを望む事もなく、只平凡な温かい会話のある穏やかな毎日を夢見る彼。お見合いが開始され5か月目「今日の方はとても優しい方で、楽しかったです」と、話も盛り上がったと報告をして来たそのお相手と交際に入りホッ♪

 楽しいデートが暫く続き、2人の想いでも沢山創り季節が変わる頃に結婚を決めた。結納から結婚式まで彼女のご両親は始終笑顔で、娘の結婚をそれはそれは喜んでおられたと聞いて、仲人もこの縁に寄り添えた幸せに嬉しく感謝した。結婚が決まった時、そして、新婚旅行から帰った時もご挨拶に来てくださり、終始笑顔で周りを温かく包み込む笑顔に、気持ちが癒され2人の将来の笑顔と幸せが見える様だった。結婚後、暫くしてある日、偶然彼の自宅近くに用事があり車で走行中、手を繋ぎ仲よしの2人が一瞬目に移り、よく見たらMさんご夫婦だった。相変わらず仲良しなんだなぁ、心が温かくなった嬉しい一瞬♪幸せにあれ♪健やかにあれ♪

埼玉県北部在住 50代男性 成婚事例③超無口で不調続きの管理職の彼、結婚決め満面の笑み
 初めて来社された時から物静かなで上品な話しぶりで、品の良さが伺える彼は52歳の建築会社の管理職。両親と実家で同居暮らしが続き、1人いる妹は隣町に嫁ぎ三人の子育て中。結婚を考え始めたのは、母親の言葉だったと言う。休日、父親と庭の手入れをしていたお茶の時間に「いつまでも一人じゃ将来困るから、良い人がいたら結婚してほしい・・・」突然母の口から出た言葉にビックリしたと言う。親から結婚の話を言われた事は今まで一度もなく、母はずっとその気持を胸に納めて暮らしていたんだろうと思うと切なかったと話す。母からそう言われ、それまで考えてなかった結婚が頭の中をよぎるようになり、時々読売新聞に折り込まれていた「結婚相談所埼玉」の当社に連絡を入れた。相談した上司が偶然にも15年前当社で結婚し高校生と中学生2人の子育て中で、縁の不思議である。婚活の話が急に動き出した。恋愛経験はなかったが、大学時代に仲の良かった同級生がいたが、就職活動で互いに忙しくなりいつしか縁が遠のき自然消滅になった。それ以来、人を好きになったり、具体的に結婚を考える事がなくプレッシャーだとも打ち明けた。

 人それぞれの人生、人それぞれの恋愛、結婚観、遅い早いもないし、恋愛を沢山したから良い訳でもなく又ないからと悪い訳でもない。結婚の幸せは、人として誠実に働き、守るべき人を大切に守れる方なら、約束されるものだと諭すと静かにうなずいた。すこぶる魅力的な容姿で、お見合い写真は撮影したすべての写真が好感度良く、一枚選ぶのが大変だった程。そしてお見合いのお申し込みが入り、それに伴いお見合いが続き、婚活は順調なスタートをきった。しかし、お見合いや交際に入ってからご縁に至らない旨の返事が続き女性に聞くと、会話が盛り上がらない、言葉が少な過ぎて疲れる、大人しくて結婚してからのイメージが湧かない等。その旨、本人に話をすると話はしたのですがと、半分納得半分不思議そうな表情。入会当初から会話は仲人として気になってはいたが、改めて会話のコツをアドバイス。

 そして、お見合いが10回を数えた頃、超活発で明朗な女性と出逢い、一挙に結婚へと話は進んで行った。大人しく無口は欠点ではなく個性。只、お見合いや交際にはそれなりの会話が必要だから、アドバイスも役立った。成婚退会の挨拶に来社の2人は、高齢の双方の親を案じ中間地点にマンションの購入を決めたと報告してくれた。そして、いつもの様に記念写真をパチリ、笑顔の彼女の隣に飛びっきり笑顔の彼が納まり幸せが伝わる。初めて見せてくれた彼の満面の笑み。写真は彼の希望で見合い室に飾られ皆の祝福を頂いている♪

 見合いや交際は会話のコツやコミュニケーションが大切だけど自然体の相性こそ必須。

埼玉県北部在住 50代男性 成婚事例④真面目で大人しい彼が温かい女性に恋をして・・・
 ご両親と一緒に結婚相談所埼玉の当社に、見学相談に訪れた彼。礼儀正しい挨拶と名刺交換が慣れていて好感度良く、まさに大手企業の管理職を思わせた。話し始めからほとんどの質問に父が答え、隣で優しく頷く母の笑顔が印象的だった。ご両親の年齢も90才に近く、厳格頑固な父と良妻賢母の母の、まさに日本典型のご夫婦。長男の彼は一度も実家を出た事がなく、勤務先は都内だが交通の便が良く実家暮らしを続けていた。

 大学院で学んだ学問がまさに仕事に反映し、その充実感もあり多忙も楽しく大いに遣り甲斐を感じているのだと話す。結婚を考えない訳ではなかったが、敢えて探そうとも思わなかったし、自分が結婚する実感も湧かず、何となく過ごしていたら気付くと50歳を越えていたらしい。同僚や部下たちの披露宴には数えきれないほど出席し、2人の笑顔にとても感動は大きかった。時々訪れる姪っ子も甥っ子を可愛がり、休日は一日中遊ぶらしい。

かつてあった親戚からの縁談は断り続けるうちに、とうとう呆れられてピタッとなくなり、父親に諭されて仕方なしの来社となった。中肉中背で爽やかな容姿の上、条件もすこぶる良く、お見合いのお申し込みは多かった。しかし、お見合い時の会話が続かなかいとか、話が盛り上がらないとの理由で、お断りが続いた。婚活開始当初の「会話のコツ」を再度アドバイスしつつお見合いは続いた。温厚穏やかで仕事はテキパキこなし、同僚や部下からの信頼も厚いが、只々、縁がない事を両親は嘆いた。

そして13回目のお見合いは聡明な専門職の女性に出逢え、縁と運は急上昇。「一緒にいて自然体でゆったり居られるんです」と彼女は彼の人柄を絶賛し、「これからの人生の安らぎが見える様です」とも嬉しそうに報告してくれた。それに対し彼は一言「可愛い方です」と精一杯の言葉。縁とはそう言うものなのだろう。

 良いとか悪いとかではなく、自然体で合うか合わないか・、安らげるか・、それが縁。交際が順調に進む中で、加齢も伴い父の認知症が発症。その後プロポーズは快諾され、正式に成婚が決まった。両家の顔合わせの席に父の出席は叶わなかったが両家は喜びに沸いた。成婚の挨拶時に撮った2人の写真は、幸せそうな笑顔の彼女の隣で満面の笑みで輝く彼のとびっきりの笑顔があった。この一瞬が仲人の宝物。「幸せにあれ」

埼玉県北部在住 50代男性 成婚事例⑤理想の人に出逢うまで寂静さん焦らないで下さい
 新規相談に訪れてから二年が経過し頃、再び彼からの電話が鳴った。「上司の紹介でお見合いし順調に交際を進めていた方がいたのだが、交際4ヶ月にしてお断りを受けてしまった。今度こそ真剣に婚活したい」との事だった。初婚52歳の彼は今回の突然の破局に結婚への焦りの気持ちが急に湧き出したと言う。「今更ですが、もっと早く真剣に結婚を考え活動をしていけば良かった」とポツリと言った。家庭を持ち出来たら子供が欲しいとも話してくれる真剣な表情に気持が伝わる。頭の中では結婚しなくては、とずっと思っていたが気楽な独身生活にもすっかり慣れて、心地よさも感じていたし、今更誰かに気を遣っての生活が出来るのかと不安もあり、結婚が重苦しく感じたらしい。何不自由のない快適な暮らしが婚活へのきっかけをいつしか遠ざけてしまったらしい。こうなったら理想の人に出逢うまでじっくり婚活しよう決めた彼は寂静に言った。「この人と思う人に出逢うまでじっくりゆっくり探そうと思いますので、寂静さんも焦らないでほしいです。ゆっくりやりましょう。」

 彼が40歳を過ぎた頃には、あれほど「結婚。結婚。」と言っていた母親も、今では諦めてか何も言わなくなった。呆れたのか諦めたのか判らないが何も言わなくなったのも、それも又寂しいものだと彼は他人事の様に話す。上司がお膳立てをしたくれたお見合いが2回あったが、話がかみ合わずお断りをしてからプッツリ紹介は消えた。寂静は「昔ながらの仲人」で、今も手土産持参で近隣地域を動き回ってお相手探しをしており、ふとよぎった思いがあった。少し前に当社で結婚された方の妹さんが、もしかすると彼のお相手に相応しいのではと感じた。それから結婚の意志がおありかを伺いに丁重にご自宅を尋ねた。聡明で上品な女性で「良い方がいましたら是非こちらこそ宜しくお願いします」と、本人もご両親も前向きな言葉で歓迎して下さり、仲人のスイッチが入った。

 お引き合わせの準備を始めたが、改めてのお見合いではなく二人の時間を合わせての自然な紹介をセットした。事務所のお見合い室から聞こえる二人の途切れる事のない会話が、楽しそうに響き弾む声に気持ちの盛り上がりが伝わり、その後プチドライブに出発。翌日、「温厚でお話も楽しく感じ良い方でした」との女性からお返事で交際に進み、彼はとても喜んだ。その後、休日にはデートを重ね季節が変わる頃にプロポーズは快諾され、結局3ヶ月で結婚を決めた。結婚は決まる時は早く、母は驚きと感動で泣いていた。

 彼女は勤続15年の銀行勤務の38歳係長、彼は地元建築会社部長の52歳管理職。若々しいフレッシュな二人。相性はすこぶる良く出逢ったタイミングも良くまさに良縁が巡った。「ゆっくり決めるので焦らないで下さい」と言われて心配したがホッ。年齢に関係なく結婚を決めた二人の笑顔は、ピカピカに輝いている。例月結婚式を予定している式場で結納式の予定と聞いた。「動けば縁も動く」「探せば見つかる」

60代の成婚事例

埼玉県東部在住 60代女性 成婚事例①普通の暮らしが希望です。
 「ときがわ町の友人に教えて貰いました」と、電話予約の上で電車を乗り継ぎ埼玉県東部のはずれから、約2時間半を掛けて来社下さった63才の上品な女性。看護学校卒業後、付属の大学病院に定年退職まで勤務を続け、多忙な中で夢中に働いたと話してくれた。仕事が大好きで、毎日が充実していたし、健康に恵まれていた事も有難かったと言う。一人暮らしではあったが、その間近くの実家のご両親を順に介護し、看取ったとの事。

 退職後半年間は、激務と責任の使命感から解き放たれて、暫くはポーっと過ごす日々が続き、時間だけが過ぎていき、改めて24時間が自分だけの為にある事を実感した。夢中だった人生を思い返し、これで良かったんだとやり切った感と安堵感の中で、これからの自分を前向きに考え始めたらしい。多くの患者さんに寄り添い、人として豊かな時間を過ごせた事が、これからの自分の人生の道標だと笑顔で語った。話は盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていった。、これからは支え合い互いを尊重し穏やかに暮らしたいし、趣味の生け花や旅行も楽しみたいと夢は広がった。

 将来を真剣に考えず、年金もかけていなかった方が、慌てて老後の不安を感じて相談所に駆け込むケースとは異なり、まさに誠実に貫いた人生で明るい今後の生活が聞いていて温かい。隣りのときがわ町の新聞に折り込んだチラシが、結婚を考えている友人に郵送され、それを見て尋ねてくれた縁が、有難く嬉しい。

 あれから一か月、書類も整い婚活はにわかに動き出した。聡明な彼女の笑顔とプロフィールに、お見合いのお申し込みは多く、何度目かのお見合いで大手商社を定年退職した、一つ年下の男性と趣味も合い意気投合、交際は順調に進み楽しいデートの様子が伝えられた。奇しくも彼はときがわ町で、まさしく縁の不思議を思った。共に初婚、共に両親の介護を経験し、誠実に仕事一筋に勤め上げた環境も似ており、気持ちは静かに確実に膨らみ良縁となり結婚を決めた。今、彼の実家である、ときがわ町に移り住み、友人や近所の方々との親交を深め、バーベキューやハイキングを楽しんでいる。

 「もう65歳」と言う方の多い中で、彼女の「まだ65歳」が優しく温かく心に響く。「誰かが傍にいる幸せ」「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」の言える暮らし。 幸せにあれ。

埼玉県東部在住 60代女性 成婚事例②入会したが仲人業の開設、自分で探し始める婚活が不安で再入会し結婚
 友人からの口コミで埼玉県東部から新規見学相談に来社した彼女は、63歳の会社員。地元不動産会社で経理を任される勤続30年のベテラン社員である。経理は勿論の事、社長や役員の信頼も厚く時に役員会議にも出席し、会社の運営に対しての意見や現在の会社の状況を説明出来る立場にある。その彼女は会社規定の65歳定年を数年後に控え、今まで独身で通して来た事を振り返り仕事から離れて結婚して穏やかな老後の暮らしを過ごしたいとの夢を描いていた。そしてもうひとつ、自分で起業する夢もあった。実際、仲人業を開設して自分自身の結婚を決めた方は少なくないし、本人結婚後も仲人業を継続し地域で活躍している方も多い。

 婚活にあたっての成婚までのプロセスを説明すると、すぐに入会を希望され、翌週入会の手続きを済ませ婚活が動き出した。彼女は初婚と言う事もあり、婚活開始と同時にお見合いの申し込みは多かったが、かなり理想が.高く申し込まれるお見合いはことごとくお断りをしていた。お相手のプロフィールの各項目をしっかり確認し、職業、年令、家族、収入、趣味、性格、等を何度も見直していた。

 そして三か月が経過した頃、自分で仲人業を開設してゆっくり決めようと思いますとの電話が入った。仲人業開設のノウハウを伝授しながら、彼女の婚活を見守った。時々、近況報告を兼ねて判らない事を尋ねてきてはいたが、年賀状のやり取りぐらいで2年程が経過した。「又伺って良いですか?」「どうぞ」結婚が決まったかなと思った。結婚相談所埼玉に来て彼女は言った。「やはり自分で仲人業をしながら自分の婚活をするのは難しいので、もう一度入会しても良いですか?」と。お見合いや交際の不安やお相手の気持ちは仲人でないと確認できず、それが仲人本人だとまたまたやりにくく、誰にも相談できず辛くて気持ちが前に進まなかったという。まさに「仲人型婚活」の醍醐味はそれ。揺れ動く婚活の気持ちに成婚まで親身誠実に寄り添う事。

 少し時間は掛かったが再度お見合い写真の撮影をして書類も再作成し、動き出した婚活。仲人仲間の紹介の会議では人気もあり間もなく、高かった理想は下がり始めて以前よりお見合いの動きが活発になった。縁あって結婚相談所埼玉の当社の男性との良縁が実った。お相手は妻と死別し、2人の子供達がまだ小学校入学前の幼い頃だったので、実家の両親に家事や子育ての協力を仰ぎ、必死夢中に生きて来たと言う。その子供達は今それぞれ家庭を持ち、幸せに暮らしている。すでに旅立った両親は、彼の今後の一人暮らしを不憫に思って「良い人がいたら結婚しなさい」事ある毎に伝えていたと言う。今日まで頑張って生きて来たご褒美だと彼は結婚をとても喜んだ。今までなかった経済的、精神的にゆとりのある豊かな暮らしが2人を包んでいる。結婚まで時間が掛かったようで、ある意味必要な道のりを進み、一番の最短コースだったのかも知れない・・・。
 人生も婚活も頑張るだけの価値はある、としみじみ思う。

埼玉県中央部在住 60代女性 成婚事例③人もお洒落も話も大好きでブティック経営30年夢見た田舎暮らし
 人様との響き合いが大好きで洋裁好きな彼女がブティックを開業して早や30余年。楽しくて夢中に接客をしながらお客様にお似合いの服を選び、紹介するのが大好き。そして時には悩みを聴き、相談にも乗って、街では有名な人気者のブティックママ。この街で生まれ育ちいつも変わらない穏やかな笑顔の接客に、訪れる方を幸せな気持ちにしてくれる。いつ来ても笑顔で、ママの不機嫌な顔を見た人は誰もいないと結婚相談所埼玉に同行した当社の婚活卒業生で中学の同級生が話してくれた。

 中学の頃から自然にその場の雰囲気に溶け込む性格で、それは今も全く変わらない。自分の考えを持ちながらも出しゃばる事も無く、さり気なく必要な時に自分の想いは伝えるから、クラスでは彼女の存在は大きく頼りにされていた。高校を卒業後は2年間、専門学校で洋裁を学び、頼まれるとお客様のスーツやワンピ-スのお誂えをしていた。幼少期から刺繍や洋裁は夢中にこなし中学の夏休みには自己流でワンピースを完成させ夏休みの宿題で先生や友人をビックリさせた。3人姉妹の中間っ子で堅実派の彼女は、じっくり物事を考え納得してから動き出すタイプだが、店を持とうと決めてからは夢中で準備を始め周囲を驚かせた。地元と言う事もあってか開店当初から店は人気で賑わった。

 開業し10年が経った頃、両親の介護が始まったが仕事も続けながら乗り切って、優しいお世話の中で両親を見送った。天真爛漫の明るい性格だから何度かお見合い話はあるにはあったが、仕事が楽しいとの理由で写真を見る事もせず丁重に断わり続けていた。過去に一度だけ本気で愛した人がいたが、その人の突然の死が彼女に夢を持つことを諦めさせたと、後で知る事になった。悲しみを包み込んで笑顔で応対する彼女の気持ちが愛おしく切なく感じられた。楽しい仕事ではあったが、いつの頃からか晩年は大自然豊かな田舎で暮らしたいと、埼玉県ときがわ町の方とお見合いし相思相愛で結婚を決めた。

 「新しい環境にも慣れました」と、結婚三年目のご夫婦が遊びに来て、不便過ぎず賑やか過ぎない長閑な土地で今は家庭菜園が面白いですと近経報告。「時々洋裁もしています。初めて作ったご主人のズボンです」と嬉しそうに話す妻の横で、微笑むご主人の笑顔から幸せが伝わる。大手保険会社の役員だったご主人も仕事一筋で初婚。「今、とても幸せ」としみじみ話す2人。地域の交流にも積極的に参加しているらしい。そして来月はかつてのお客様が来て広い庭でバーベキューを予定している。幸せにあれ♪健やかにあれ♪

群馬県在住 60代女性 成婚事例④夫亡き後寂しく、又誰かの為に大好きなお料理を作りたい。初めての恋
 亡き夫は真面目実直で男気があり自分がこうだと思ったことは貫き通す人だった。それだけに責任感もあり頼りがいもあり信頼出来る人柄だったから、会社や地域の信頼も厚く多くの方に慕われていた。その夫の頑固さで苦労もしたけれど、極力素直に従い主婦として生活を守って来たと言う。夫の突然の死に心の整理が出来ぬ儘、2年が夢の様に過ぎた。

 調子が悪いと市販薬を飲んではいたが、激痛で救急搬送後に検査入院となり進行性の胃ガンが発見された。余命は1ヶ月との告知ですこぶる短く子供達と相談の上、本人への告知はしないことに決めた。3人の子供達がそれぞれに伴侶を見つけ安泰な家庭を築いている事を見届けて夫も安堵しているだろうと思う気持ちが支えだった。増してゆく辛さに本人の意向で医師から強い鎮静剤が投与され、それからは会話も出来なかったが穏やかな時間に救われた。夫亡き後の一年は葬儀後の諸手続に追われ各種書類の整理が続いたが、思い出話の中で父親の頑固さが堪え難かったと、息子達は口を揃えて言っていた。亡き夫とは親同士の親交からの縁で結婚話はあっと言う間に進み、誠実な人なので結婚を決めた。夫を立てて家庭を守りすべてが夫中心だった事に気付き、生活の中で自分自身が楽しむ事はあまりなかった事も思い返していた。それが当たり前とも思っていたのだ。

 今まで疎遠だった友人達が趣味の集まりやお茶飲みに誘って下さったり、専業主婦で外にも積極的に出なかった自分を心配してサークルに誘ってくれたりもした。友人達との時間はとても楽しく、楽しいだけに誰もいない家に帰るのが切なく、誰とも会話がない中でテレビから流れる言葉だけが生活のリズムだった。大好きだったお料理も自分の為だけに作る気持ちはなくいつも簡単なもので済ませるのが日課だった。ある日家族で遊びに来た次男が、家にいる自分を見て「結婚したら?誰かの為に好きな料理をした方が似合うよ」と言った。再婚は全く考えてはいなかったがハッとした。亡き夫に寄り添い、尽くして来た自分はイヤではなかったが、楽しいと感じる時間もほしいと思ったりした。友人との旅行や観劇も楽しいが又誰かの為にお料理をしたかった。

 結婚生活やお相手への希望を伺うと「穏やかな日常を大切に楽しく過ごしたい」と話し、謙虚で家庭的な人柄が改めて伝わって来た。初回のお見合いは話が合わず不調になり結婚への不安を抱いたが、3度目に出逢った3歳年上の会社員の男性は、10年前に死別され子供達を社会に送り出して再婚を考えたと言う。お見合いでは自然に話が弾み、互いの印象もすこぶる良く交際に進んだ。週末にドライブやショッピングを楽しみ、デートの時に次のデートの行き先を2人で決めるのが何より幸せで、自分自身が変わったと嬉しそう。一緒に暮らせたらどんなに楽しく幸せかと考え始めた頃にプロポーズされ、笑顔で快諾した。彼女の家を新居として彼の家は賃貸で貸すことになり、今、準備が進んでいる。「こんな幸せな日が来るなんて不思議だし思っていませんでした」と彼女は笑った。落ち着いたら得意のシチューをご馳走してくれるとか、今から楽しみです。
「亡き夫の願いは貴女の笑顔、再婚それもひとつの道」幸せにあれ

埼玉県北部在住 60代男性 成婚事例①60代の初恋 勇気を出したお相手探しで良縁が巡った
 埼玉北部の68才会社経営の男性と都内在住の58才で聡明な大手企業の管理職の女性がお見合いをし結婚を決めた。共に初婚で、初回面談で男性は今まで仕事一筋の仕事人間だったが人生の後半に寄り添える優しい女性を見つけたいと話してくれた。女性は仕事はそれなりに充実し遣り甲斐だったが、定年退職にあたって人としてゆったりした時間の中で安らぎ落ち着ける家庭が創りたいと打ち明けた。条件的にはまさにお似合いではあるけれど、お逢いしてみないと縁は見えない。それぞれにタイプとかイメージがあるから、仲人とてそこらへんは判らない。コロナ禍で気遣いながらの対面見合いは、落ち着いた喫茶店の個室を予約した。お見合いの結果は翌日の午前中までに担当仲人に連絡する事になっている。

 そして夕方、「感じの良い方なので、お相手様が宜しければ是非又お逢いしたいです」との明るい声。さて男性は?。女性から前向きなお返事を頂いた事を伝えると、そうですかぁ~と嬉しそうな声が響く。男性は、容姿端麗で上品な所作の女性だから、自分には勿体ないし断られるかもしれないと躊躇していたらしい。結局お互いの好感度はすこぶる良く交際となった。コロナ禍で思うように逢えない中、メールや電話で気持ちを育み、電話は話が盛り上がり2~3時間話し続けたこともあったらしい。

 男性は建築士として事務所兼自宅での生活をしており、この五年で同居していたご両親を手厚い介護の上で看取られた。人望厚く仕事もすこぶる順調で友人の多さが人柄の円満を物語っている。只、当初より異性への自己表現が苦手で自信がない事は打ち明けてくれていた。電話での近況報告や慣れないメールでのやり取りは気を遣いながらも新鮮な気持ちだったらしい。

 彼女も管理職としての責務の中で、2人で逢える時間を創りながら遠距離恋愛を楽しみ、自然体で安らげ2人の気持ちは結婚に近付いた。恋をした彼女の笑顔も益々輝いた。交際が5か月目に入り、相変わらずコロナ禍の気になる中、「結婚決めました」との嬉しそうな彼の電話が入った。後日、「成婚アンケート」のプロポーズの言葉は?に「早く埼玉に引っ越しして来いよ」と書いてあった。そして彼女に一番してあげたい事に「健康で長生きする事」と。感動しきり。幸せにあれ、健やかににあれ。

埼玉県西部在住 60代男性 成婚事例②独身謳歌趣味写真で世界一周、60になり急に家庭が欲しいと思った
 「近くに住む者ですが、結婚相手を探してほしいので伺いたいんです」との爽やかな声で男性からの電話。結婚相談所埼玉の当社は、電話で住所を伺う事にしているが、まさに当社の最寄りの武蔵嵐山駅の線路向こうに住まいがあり徒歩8分の距離。外資系の会社に勤務し、公私共に海外の活動が多く、30代の頃からは海外出張の折に休日はカメラ片手に各国の下町を撮影して廻るのが好きだったと話す。その話は電話でも大いに盛り上がり、来社時は大きく引き延ばした写真を沢山持参され、暫くはその説明を夢中に聞きた。行ったこともないテレビで見ただけの遠い他国の異国情緒に感動しきりだった。

 彼は実家で両親と暮らしていて、父親は98才、母親は92歳と高齢ではあるけれど、2人とも元気で炊事洗濯も庭の手入れもこなして、穏やかな日々を過ごしていると言う。62歳になる今日まで結婚を考える事は全くなく、むしろ結婚はしないと決めていた。ある日ふと両親の年齢を改めて考え「自分はもうじき1人になる・・・」と急に寂しい想いが込み上げての来社になった。話を続けていると思い切ったように彼は言った。「出来たら子供が欲しいんです」「そうですか・・・」55歳でパパになった方、65歳でパパになった方、72歳で三人目の子供に恵まれた方、幸せはそれぞれある。62歳の彼がお子さんを望む気持ちは大切に叶えたいと思うけれど、相手のある事なので誠実に探しする約束を伝えた。結婚相談所埼玉の当社では、15年程前46歳と45歳の女性が自然妊娠&自然分娩をされた例が続いたが、子供は授かりもので授かったら本当に有難い。一般的に出産を考えるのは42歳位?!それでも彼との年齢差は20歳。結婚を考えるのが遅過ぎたと言いつつ、普通の平凡な暮らしが夢だと言う彼の夢を叶えたく努めた。

 若々しく見える彼だが、やはり実年齢は重要で年齢差は大きな壁になり厳しかった。一年が過ぎた頃、38歳の会社員の女性が入会された。年令や条件のこだわりは特になく、穏やかで気持ちの優しい方と毎日を楽しんで暮らすのが希望だと言う。結婚相談所埼玉の当社は会員のカウンセリングは予約制にしてはいたが、自然な出逢いをと考え2人を敢えて同じ時間に来社頂いた。無論年齢や必要な情報は伝えていたが、通常のお見合いではない事を伝え小一時間私も一緒に会話を楽しんだ。2人とも心優しい温厚な人柄で特に結婚にこだわる条件はなく、平凡な暮らしが希望でその事も全く同じ考えだった。翌日2人に相手の印象を聞くと2人揃って好感を持ち、まさに良縁だった。それからは2人で自由に逢い、趣味の写真撮影に行ったり、美術館巡りを楽しんだ。

 二か月後、彼女からのメールが入った。「良い方なので、結婚しようと思います」と。折り返し電話をすると、今、彼と一緒にいて2人で決めましたと嬉しそうに話してくれた。そして結婚3か月、新生活も落ち着いた頃、彼女からのメールは妊娠の知らせで「赤ちゃんが出来ました。来年の初夏に生まれます」と。

 15年前の事だけど昨日のように思い出される。あの時のお嬢さんは美しい高校生になりダンス部の話を楽しそうに話してくれた。お陰様と言われるけれど、人の縁は実に不思議。仲人でも判らない「不思議」がある♪

埼玉県西部在住 60代男性 成婚事例③離婚3回死別2回の彼,今度こそと6回目で幸せを掴んだ
 爽やかな声で「一度話を伺いに行きたいのですが・・・」と、新規問い合わせの電話。氏名年令、住所を伺い翌週に予約を入れた。当日、少し早めに来社した彼は、背広ネクタイ姿でピカピカに磨き上げた靴、清潔感を漂わせて60歳とは思えぬ若々しさで好感度抜群である。ひとしきり世間話で盛り上がり話が本題へと進み、いつもの様に家族構成や過去の婚歴。結婚への希望を伺う。初婚ですか?再婚ですか?の問いに、いささか戸惑い気味に彼は言った。「再々、再婚・・・、えーと」と考えながら話し始めた。「今度、結婚したら6回目になるんです。」と、言いにくそうな表情で話し始めた。再が二つ付いた方の結婚は比較的多いが6回目の方は初めてで正直驚いた。女性を私物化する様な考えの男性は、過去45年間にお断りをした例があるが、此処はゆっくり話を伺おうと気持ちを引き締めた。

 最初の結婚は22歳で大恋愛だったが彼女はお金にルーズでサラ金の借金膨れ上がり結局彼が肩代わりして離婚になった。二度目の妻は病気がちだったがとても家庭的で魅力的だったが病状が進み亡くなった。三度目の結婚は会社の上司の紹介で、親の葬儀に実家に行った儘、帰って来なかった。四度目の妻は、彼が仕事で大怪我をして入院中に、以前付き合っていた男性の元に行ってしまった。五度目の妻は、元気な人で気も合い楽しく旅行をしたが、体調が優れず受診した時はすでに手遅れで、進行の早い病の為発病後五ヶ月で他界した。まさに、小説より奇なりの人生を歩みながらも、それでも幸せな未来を目指す彼に尊敬の念を抱き、幸せな結婚をさせたいと願い婚活は動き出した。

 お相手に対する条件は「明るく健康な人」とそれだけ言った彼は、話したい事を言い終えホッとした表情で珈琲をすすった。そう言えば、先月結婚を決めた再婚の方は、入会時に理想のお相手を聞くと「今度は離婚しない人」と言った。「寂静は神様ではないから、その約束は出来ないなぁ」と話すと「そうですよねぇ~」と判っています的な感じでの納得の笑顔。何があってもなくても、誰でも「いつも今から」それが大事なのだ。六度目の結婚に向けて初めての婚活が動き出した彼は、当初行う「お見合いのアドバイス」もメモを取り熱心に耳を傾けている。

 お見合い相手から当然六回目の結婚の理由を聞いてくる。当然だ。二件の離婚はやむなしとしても、離婚の理由が女性への私物化や身勝手な言動であるなら私も入会を断ったし、誠実な生き方をしているからこそ応援をしたいと思った。それを説明すると納得頂けて、5回目のお見合いで伴侶を射止めた。あれから15年。時々通る道沿いの彼の家のベランダに、2人の布団が綺麗に並んでいる。ウワッ♪。「幸せに元気でやっています!」のサインだ。

埼玉県西部在住 60代男性 成婚事例④気儘な一人暮らし満喫、定年後寂しさ倍増の初婚男性の決意
 愛嬌があって子供の頃から友達も多く、彼の周りにはいつも仲間がいたと結婚相談所埼玉の見学相談に同行した婚活卒業生の友人が話してくれた。田舎町だからクラスは一クラスで幼稚園から中学校まで同級で家も近所の為、家族ぐるみの交流の中で一緒に育った。その友人は28歳の時に親が結婚しろと煩く言うからと当社を訪れ一年後に良縁を射止めた。現在妻と2人暮らしで、3人の子供達はそれぞれ家庭を持ち子育てをしている。

 彼が60歳まで独身を貫いたのは大きな意味はなく只々仕事に夢中になっていたら気が付くと今だったと話す。大学時代から望んでいた専門分野での研究に没頭し結婚を意識する事もなく充実していた研究所勤務を懐かしく思い出して難しい仕事を説明してくれた。それぞれに夢に向かった生き方の中でも親交が続いた2人の繋がり、正に家族である。定年退職後は月に三回ゴルフを楽しみ仲間達との近況報告を兼ねた飲み会も毎回賑わい、先月はその仲間達が彼の還暦祝をしてくれて思いがけない祝福に感動したと言う。帰宅し待っている人もなく一人の生活をふと実感し、自分だけが独身だとしみじみ思い今更ながらそれが妙に悲しく寂しく侘しく感じられ、その日から結婚を考え始めた。

 誰にも気を遣わず気楽でそれが快適とも思えた今までとは違い「此の儘一人なのか・・・」と急に押し寄せた寂しさが結婚を思い立たせてくれた。当然の事だが仲間達は家に帰れば妻や家族がいる。独身で過ごして来た今まではそれはそれで満足だったし、家事もそこそこ自分でこなせているので特に生活面で不便を感じる事は何もなかった。それでもこれから先の生活を考えると話し相手が無性に欲しくなったと言う。「この年齢で相手はいますか?」と自信なさげに話す彼に、最近70代の結婚が増えている事を伝えると「本当ですかぁ」と嬉しそうに爽やかに彼は微笑んだ。

 お相手に望むのは「穏やかな方」それだけ。お相手には仕事も趣味も友人や親戚の方との交流も今まで通り楽しんでほしいと夢を語る。彼は就職間もない頃、一度だけ結婚を考えた同期の方がいたが、彼の海外赴任が決まり自然消滅になった。お見合いを重ね結婚を約束したお相手も独身を通した大手企業の役員秘書だった聡明な方で、担当役員のスケジュールに合わせての会議等の資料作成や海外からの資料翻訳とか遣り甲斐も多く、やはり結婚を具体的に考えたことはなかったらしい。新婚旅行は2人が行った事のない国を巡るとか。三か国語がペラペラの2人は気が付くと英語で話しているらしい。

 結婚披露宴は外国の方も多く盛大で芸能界の結婚式の様だったらしい。生活が始まり彼女の創るお料理が本格的で毎日がレストランに来ているようらしい。そして何より感動したのはおもてなしの気持ちがとても温かく、突然訪れた仲間にも素早くおもてなし料理を振舞ってくれる。只話し相手がほしいと結婚を考えた彼は、思いもかけない大きな幸せに浸っている。この女性に出逢う為に生きて来た60年間だったとしみじみ彼。彼の結婚を境に友人達との飲み会は妻も同伴になりひときわ賑やかになったと聞いた。

埼玉県秩父地域在住 60代男性 成婚事例⑤妻と死別寂しさに耐えられず結婚。毎日の会話が楽しいと笑顔
 受話器を取ると「もう年なんですが、良い方はおられますか?」と優しい口調で話を始めたTさんは、五年前に妻を病気で亡くし、日増しに募る寂しさに耐えられなくなり思い切って電話を掛けたのだと話す。妻亡き後は暫く、妻の友人や親族が尋ねてくれたが、最近では親戚も遠ざかってしまった。それでも一人暮らしの自分を心配してかつての同僚が時々電話を掛けてはくれるが、訪れる事はなくなった。今では命日に息子達夫婦や家族が訪れる位だと寂しそうに話す。来社頂いて改めてゆっくり話を聞く事にした。

 背広ネクタイに身を包みかつての大手企業の上品な雰囲気を漂わせていて、65歳とは思えない若々しく、はつらつとした方で正直ビックリした。部長職で定年退職を迎え、同じ頃に妻の病気が発覚し穏やかな生活の中での看病が続いたが、日に日に進む病に一喜一憂の時間が流れ、入退院を繰り返した妻は「ありがとう」と感謝の言葉を何度も伝えながら旅立った。

 仕事人間だったこともあり地域との繋がりは殆どなく、テレビだけが話し相手で、ふと気付くと一日誰とも会話がなく声を出さない日も多く、侘しく辛い時間が過ぎた。妻が元気な時は息子達も時々遊びに来てはいたが、孫も大きくなり最近は来なくなった。こんな事になるならもっと地域の方々と交流を持っておけば良かったと、今更ながら後悔をしている事も打ち明けてくれた。結婚を考えていることを子供達に伝えると「それは良い、僕達も安心だから」と快諾を貰い来社を決心した。結婚に望む事は「穏やかで会話のある毎日」それだけですと言う。

 入会書類も整い、当社スタジオにてお見合い写真を撮影し準備完了、いよいよ婚活開始。亡くなった妻とは大学時代に知り合い、温かな家庭を護り喧嘩もなく、とても幸せだったと亡き妻を愛おしみ、会話する人のいない言葉に尽くせぬ寂しさを涙ぐみ繰り返す。最初のお見合いはTさんが選んだ方で人柄の良い方がったが、都会暮らしに慣れ居住地の長閑さに自信がないとお断りを受けた。そして4回目のお見合いの方は自然体で会話が進み双方の好感から交際となり、時々来る交際報告に彼の口調はとても明るかった。

 お相手は同年代の初婚の方でずっと教職についていたが、両親の介護が続き結婚は考えられなかったらしい。晩年を自然豊かな場所でのんびり暮らしたいと思っていた方で、秩父連山の望める町に魅力を感じてくれた事も彼の人柄共々、結婚を決めた理由だった。交際は順調でデートを重ねる度にお互いの事が益々近くに感じられて、生活の話や趣味の話、かつてしていた仕事の話等、どちらからともなく溢れ出る会話にまさに相応しい方と感じ「これからの時間を一緒に過ごしてほしい」とのプロポーズをした。即刻「宜しくお願いします」と笑顔で答えた彼女は涙を流した。まさに良縁だった。

 結婚を機に亡き妻の仏壇を少し奥に移動したのだが、始めて自宅を訪れた彼女は静かに合掌をしてくれてそれがとても有難かったと言う。仕事と介護の多忙な時間を精一杯全うしてきた彼女は、安らぎの日々を夢の様だと話し大自然豊かな地を、日帰りドライブするのが楽しいと言う彼女に、嬉しそうな彼が寄り添う。来月、家族や親しい友人に集まって頂きプチ披露宴を開催予定だが、撮影したばかりの結婚写真をその時お披露目する予定だと言う。「幸せにあれ、健やかにあれ」

70代以上の成婚事例

埼玉県西部在住 70代女性 成婚事例①音大卒業海外で活躍し地元で教室を持つも結婚を決意
 物心ついた頃には生活の中にピアノがあり、一歳の誕生写真は母に抱っこされてピアノを叩いていた写真だったと懐かしそうに思い出を語る彼女は73歳ピアニスト。幼稚園の頃からは毎日二時間の練習でそれが自然で楽しく小学生に入ってからの練習は帰宅後三時間、特に発表会前は寝る間を惜しんでの猛練習だったと言う。夢中で楽しく頑張れたのはピアノが好きだったのと、母親が遊びながら楽しくピアノと関わりを持たせてくれたからだと、ピアニストとして今に繋がっている事を感慨深く話してくれた。父親は交響楽団の管楽器奏者で、母親は声楽家として活躍し、又母方の祖母もピアニストで正に音楽一家の音楽育ち。人柄の穏やかな優しさはその環境が生活の中に音楽を自然に溶け込ませて情操教育としても気持を豊かにしたのだろう。

 初回面談の時に「音楽がすべてでしたから、結婚をして子育てをしながら家庭を護る女性のスタイルは、自分にはかけ離れた世界だったような気がしていた」とも話す。二十歳を過ぎる頃には親戚や知人からお見合い話も沢山ありましたが、お逢いする気持ちにはなれない儘、写真を見ることもなく時間だけが過ぎてしまいました。今思えば気持ちのゆとりがなかったのだと思いますが、もしお見合いをしていたら結婚していたのかなとふと考え想像することがあるとか。海外を含めた定期演奏会やコンサート、国内のコンサートやそれに合わせた練習にかなりの時間が必要だった事もあったとか。ご両親もそれぞれに活躍をされ、祖父母とお手伝いさんが家事と身の回りの世話をしてくれたが、小学校の頃は随分寂しい思いもしたが、お正月に家族が揃って音楽の話をする時、至福に包まれての充実のひとときだったとキラキラした表情で話してくれた。

 元気だった母が突然82歳で病に倒れ病室に付き添い看病したひとときが、初めて母と2人でゆっくり過ごし語り合えた時間だったと言う。母もそう話し和やかな時を過ごせた温かい思い出が心に刻まれ、母亡き後もあの時の母の笑顔に救われていると言う。ピアノ教室で子供達にお稽古を続け成長し上達していく過程に大きな喜びはあったが65歳を過ぎた頃から、急に気持ちの中に言葉に尽くせぬ寂しさが広がり、その寂しさを音楽が埋めてくれる事はないと気付いたと切なそうに話してくれた。

 彼女が結婚に望むものは日々の温かい暮らしと会話だけで、それ以外は望まなかった。大学時代に一度だけ恋をしたが、将来の夢に向けてそれぞれの方向に進み結婚には至らなかった。婚活を始めて四ヶ月が過ぎ三度目のお見合いの方と意気投合し交際が始まった。大学の研究職の方でやはり初婚で、仕事に夢中になり気付くと70歳を過ぎていたとの事で、週に一回のデートは観劇や一日ドライブ、名所旧跡巡りを楽しんで半年後に結婚。新居は結婚相談所埼玉とは車で20分の距離。毎日弾いていたピアノは時々夫の為に奏でるくらいで、念願だった家庭菜園に夢中で毎日が新鮮で初めての事ばかりで楽しい日々が創られている。時々届けられる野菜に感謝し2人の幸せぶりに感動している。

埼玉県北部在住 70代女性 成婚事例②夫の急逝から2年、また誰かの為にお料理したい
 22歳の時に地方公務員として採用が決まった時、Kさん夫婦は同じ職場で出逢った。そして3年目の研修では又偶然同じグループになりその頃からお互いが気になる存在となり、静かに緩やかに交際を育み3年の月日が互いに生涯の伴侶と定める良縁となり結婚を決めた。2人の婚約を知ってまったく気付かなかった同僚達は、一堂に驚き大いに祝福してくれたと言う。結婚後は仲良く一緒に出勤し、駅までの道を手を繋いで話しながら歩いたと嬉しそうに思い出話をしてくれた。その時間が2人にとても貴重な時間だったのだが、同僚は仕事も家庭も同じでいつも顔を合わせていては疲れるんじゃない?と心配したが、まったくそんなことはなく心底楽しかったらしい。只ひとつ子供に恵まれなかったことは残念ではあったけれど、話し合い気持ちを切り替えていつもの2人に戻って、相変わらずの楽しい毎日が続いた。洋裁とお料理が得意な彼女は本格的に洋裁も学び始め夫の背広を仕立てるまでに上達し、そしてお料理も本格的に学び始めた。休日は夫の為にオリジナル料理を振る舞い、夫を喜ばせていた。「今日は何の献立?」と嬉しそうに聞く夫の笑顔が大好きで、その笑顔で益々お料理の腕は上がったらしい。

 あっという間に30余年が過ぎて定年を迎えた2人は、憧れていた長期海外旅行を楽しんだ。このまま、安泰な暮らしがずっと続くと思っていた矢先、だるさと微熱が治らず軽い気持ちで町医者を受診したら、そのまま大学病院を紹介され検査入院となった。毎年欠かさず健康診断を受けていたので軽い気持ちでいたが、三日後、主治医から呼び出され末期のガンで余命三ヶ月と知らされた。主治医は本人への告知を家族に委ねたいとの事だったが、熟慮の末に本人への告知は断わった。時間の許す限り病室に付き添いいつもの2人の時間が流れ、季節が変わる頃に静かに眠る様に旅立った。

 3年目の春が巡り誰かの為にお料理を造りたいと思い始めて来社し、たまたま入会直後の初婚のKさんとお逢いして話が楽しいと交際が始まった。自宅が隣町と言う事もあり共通の話題も多く、晴れた日は日帰りドライブを楽しみ大自然に遊んだ。互いの家を行ったり来たりの交際が続いたが、結局住み心地と今後の生活に便利な彼女の家に住む事になった。 亡き夫の思い出のある部屋を温かく気遣い、思い出を大切にしてほしいと言われて、その言葉で気持ちが安らいだと話してくれた。彼は家庭菜園を楽しみ、収穫した野菜を使って彼女は大好きなお料理を作っている。時々近況報告と一緒に送られてくるお料理の写真に幸せと美味しさが伝わる。
「亡き妻(夫)の願いはひとつ。あなたの笑顔、再婚それも一つの道」

東京都在住 70代女性 成婚事例③都内で看護士を続け初婚を貫き大自然に憧れ結婚し埼玉田舎嫁いだ
 「HPを見せて頂きました」と上品な話し方で、お問い合わせの後に都内から電車を乗り継いで遠路来社された彼女は、70代とは思えぬ容姿で品の良い笑顔が印象的だった。池袋から乗車し、東武東上線の電車内から眺める景色が徐々に長閑な田舎の風景に変わり、旅行気分でとても楽しかったと話してくれた。「仕事柄もう何年も制服でしたから、プライベートの外出でお洒落をするのがとても楽しいのです」とも話してくれた。

 独身を通したのは、頑なに結婚はしないと思っていた訳ではなく、結婚を考えていたお相手が難病を患い5年間の闘病の後に他界されてから、只ひたすらその悲しみを看護士助産師保健師として患者さんに心を注ぐ事に費やし悲しみを忘れようと努めた毎日だった。大学病院の信頼も熱く付属看護学校校長や付属老人施設の施設長も歴任し、患者への尽力を惜しまずそれらの社会貢献が評価されて表彰された。

 古希を迎えるに当たり長く携わっていた医療から離れて、自分の知らなかった広い世界を知りたいと思い立ち、「普通の暮らし」を夢見たのだとも話した。親しくしていた同僚や学生時代の友人達は、口を揃えて彼女にストップを掛けたらしい。「日々を楽しみながら相応しいお相手を探しましょう」に、「そうなんです、今まで知らなかった世界を知り、社会を学びたいと思うんです」と、目を輝かせていた。

 お相手になる様な相応しい方が何となく伝わり、長い親交で信頼できる地元の仲人さん達に具体的にお相手探しをお願いし、婚活は速やかに動き出した。ずっと田舎暮らしを望んでいたので、都内の方からのお見合いのお申し込みはお断りさせて頂き、あとは順番にお逢いさせた頂く事に決めた。都内の方を省くと人数は約半分、そしていよいよ婚活開始、お見合いが動き始め4回目のお見合いで話し易い穏やかな方と結婚を決めた。お相手は都内に勤務していた保険会社勤務の管理職で仕事一筋の初婚の男性で、二人共穏やかなこれからの生活に夢を膨らませている。

 埼玉県比企郡の彼の家は彼女の念願だった家庭菜園を楽しむには、充分すぎる程の広い庭があり彼女はそれをとても喜んだ。彼のプロポーズは優しくお温かく「穏やかな時間を大切にして、貴女と暮らしたい」との言葉だったと彼女からの嬉しそうな報告があった。結婚の準備は着々と進み、荷物を最小限にしたとは言っても沢山の荷物が、友人達の手で賑やかに新居に搬入されて滞りなく新居の家具は準備が整った。

 そして2ケ月後、遊びに来て下さいとの事でお伺いすると、畑にはきゅうりやトマトや茄子がたわわに実り玄関の隅には色違いの長靴が並び楽しい生活が見えた。妻の好きな野菜の作り方を調べて、自分が手伝っているんですと夫は話してくれた。仕事一筋に頑張ってきた二人が縁あって夫の生まれ育った地で、生活の根をおろし、寄り添う温かな日々が眩しい。料理の得意な彼が食事を作ってくれるんですと、茶目っ気たっぷりの彼女がとても可愛く感じた。大自然の中でゆったりのんびりする日々は尊い。

埼玉県中央在住 70代男性 成婚事例①妻と死別畑仕事で気を紛らわすが寂しい
 丁度お見合いの最中に電話が鳴った。ハッキリとした爽やかな話しぶりに年令を伺うまでは 70歳半ばとは思わなかった。ゆっくりお話をしたいので改めてこちらから電話する旨を伝えた。子供には恵まれなったが上司の紹介で出逢った妻は明るく笑顔が絶えない女性で、お見合いの時から優しい気配りを感じスグに好感持ち交際に入った。彼女も初めてのお見合いとあって、お互いに緊張しながらも逢う程に育ちの良さを感じ益々気持は結婚へと膨らんだ。そして3ヶ月が過ぎた頃、仲人から気持を確認され、結婚したい気持ちを伝え彼女からも良い返事を貰う事が出来て、婚約に至った。

 仕事には恵まれていたが出逢いがなく、40歳で初めてお見合してそしてスグに交際に進み、結婚をする事になり夢の様な気持だったと今も覚えていますと彼はしみじみ言った。専業主婦としてしっかり家庭を守り特にお料理が上手な事に、いつも感謝していたし、休日に彼女が奏でるピアノを聞きながら、コーヒーを飲むのが大好きな時間だった。健康だけが取り柄だと言っていた彼女の体調が優れないと町医者を受診した日、医師からの電話で速大学病院へと搬送された。幸せの暮らしの中でいつしかガンが進行していた。その日から、穏やかな日々は一変し、彼女の入院生活が始まった。

 二週間が経過し、すべての検査結果が揃い医師から呼ばれ余命の宣告を受けた。医師から本人への告知をどうしますか?と問われ、とっさに「しないでほしい」と答え、その日から一変した生活に彼自身も夢を見ている様で、ましてや三ヶ月の命の時間をどうやって受け止めて良いのか、その日から時間が止まったと振り返り話してくれた。無菌室にいる彼女とは週に一回の10分の窓越しの面会ではあったが、渡された受話器からの声と笑顔は今までと変わらず、彼女からの精一杯の想いだったのだろう。

 季節が移ろい秋風が吹き始めた頃に彼女は静かに息を引き取り、三ヶ月ぶりに抱きしめられたと涙ながらに辛い日々を話してくれた。彼女との幸せな想い出を振り返り、10年が過ぎた頃から「ありがとう、幸せに暮らしてください」との遺書を読み返し、寂しい生活の中で再婚を考え始めたと静かに話してくれた。特に多くを望む事もなく「健康で明るい方」を希望し、婚活を始めた彼は気持ちを切り替え、お見合いを開始した。

 そして、ご主人と死別され、亡き妻と同じ年の方との縁を頂き結婚を決めた。新しい妻にはすでに自立している3人の子供達がいて、週末に家族で遊びに来ては賑やかな時間を過ごしている。再婚の妻は亡き妻の仏壇に花を飾り、朝晩のお線香を欠かすことなくとても優しい人だと、嬉しそうに話す彼の笑顔が幸せを伝えてくれる。幸せにあれ♪
「亡き妻の願いはひとつ。あなたの笑顔。再婚それも一つの道」

栃木県在住 70代男性 成婚事例②妻亡き後、介護職で面会の家族を見て家庭の温もりが恋しくなった
 定年退職後も長く勤務していた公共の施設に非常勤で勤め、二年毎の契約更新をしていたが、今は介護職として働き利用者さんとの日々は楽しいと語るKさんは元気な74歳。もともと書物が好きだったので好きな仕事を続けながら、休日は読書を楽しんだ。大恋愛の末に結婚した妻との間に男の子3人を授かり、成長する子供達を楽しみに平和な暮らしが続いていた。三男が成人を迎え家族の記念写真を撮影した二か月後に、妻の進行したステージ4のガンが見つかり、医師からは手術は出来ない旨を伝えられた。抗がん剤による治療が開始され入退院を繰り返した。元気だった妻が「体調が優れない」と言った時、風邪を引いた程度にしか考えず受診が遅れた事に深い後悔が残ると語る彼。妻は先に逝く事を申し訳ないと謝り、残される自分を案じタンスにはメモを張り、判り易くしてくれた。眠る様に旅立った妻の葬送が過ぎ、妻が残してくれた「お料理と家事」のノートを見ながら、やっとお味噌汁と焼き魚がやけるようになり、触ったこともなかった洗濯機の使い方にも慣れて、家事は最低限度出来るようになった。

 妻亡き後、子供達は優しい伴侶に出逢い結婚し子供を育て温かい家庭を築いている。時々訪ねてくれる妻の親友は、彼の知らない妻とのエピソードを沢山話してくれて改めて妻の思いやりのある人柄を知り、嬉しくもあり逢えない寂しさで辛くもあった。仕事の再契約の時期になり人様のお世話をしたいと心機一転、介護資格を取得し新たな勤務を始めた。入所の方のお世話に動き回り、言葉掛けや食事介助もお役に立てる幸せで楽しく一日があっという間に過ぎた。ある日、面会に訪れたご家族との楽しそうな語らいの様子を見て、ふと一人の自分が急に寂しく思え孤独感がいっぱいに溢れて来た。家に帰っても今日の出来事を伝える人のいない寂しさ、「今日は寒かった・お疲れ様」当たり前と思っていた妻との何気ない言葉を思い出し、話し相手が欲しいと思い始めた。

 長男に結婚の話をすると「親父の思った様にしたら良い、親父はお袋の面倒をずっと見ていて感謝しているし親父の人生だから」と即答。子供達は高齢の父の一人暮らしを心配して丁度話し合っていたところで、タイミングの良さにホッとした。再婚のお相手もご主人とは死別されお子さんも三人がおられる方で医療に携わっていた明朗快活で頼もしい女性。明かりの灯る我が家に帰る有難さや食事を作り待っていてくれる事が嬉しいと繰り返す。大自然豊かな山里のご自宅に伺うと、家庭菜園の野菜が実り、玄関に入るとハイキング用の靴が二足並び、生活の楽しさが伝わってきた。人は苦しみや悲しみに耐えても、寂しさに免疫はないと言う。テキパキと家事や料理をこなしながら、常に話し続ける妻の逞しさ。双方の子供達も休みには家族を連れて来ては、庭のバーベキューを楽しんでいる。
「亡き妻(夫)の願いはひとつ、夫(妻)の笑顔。再婚それも一つの道」
今日がいかに充実しているか、頼り頼られる温かさと巡った縁に2人は感謝している。

埼玉県西部在住 80代男性 成婚事例①83才男性と78才女性の清純で温かい出逢いと結婚
 来社予約の後に、早速見学に訪れたNさんは83才でまだ現役の会社社長である。物腰の柔らかい紳士で、亡き妻との別れを静かに語り始めた。「実は今日は妻が亡くなり一年と一日目なんです」と話し、喪明けを待っていた事を話しこの一年の寂しさ伝えてくれた。早朝、出勤の支度を整えている時、突然台所で大きな物音がして行ってみると、妻は床に倒れ意識を失っていた。必死の呼びかけにも全く反応はなく、救急車到着時にはすでに心肺停止状態で、病院に運ばれるも静かに息を引き取ったと言う。当たり前のようないつもの朝、何の変りもない平凡な普通の朝だったと言う。七七日を過ぎても現実を受け止める事が出来ず、落ち込み亡き妻への感謝と何も恩返しができなかった後悔も喪失感を一層膨らませ、話し相手のいない寂しさに襲われる中で必死に一年を生きていたと語る。

 近所に子供達はいるが、それぞれ家庭を持ち迷惑を掛けたくないと、友人の紹介で「結婚相談所埼玉」の当社を訪ねて来た。すでにお子達にはその旨を伝え、話し合いをし生前贈与も済ませ、尚結婚したらお相手には自宅と預貯金を託したいとも。話を伺いながら、頭の中で何人かの候補の女性が浮かんだ。書類をお渡しして必要書類の提出後に具体的にご紹介しますと話すと、「最初にお見合いをした方と決めようと思います」と。信用して頂くのは有難いが、相性や一緒に居たい気持ちは仲人にも判らないので、その辺りはしっかりご説明をしお見合いが開始された。

 お相手は78歳の元家政婦さんで、子供達の幼少時に夫は病気で亡くなり、その後女手一つで二つの仕事を掛け持ちして子供達を大学まで出した頑張りやの温かい女性だった。結婚の相性は無理して繕うものではないから、暫くお2人の交際を見守る事にした。それに、「初めに逢う方と結婚します」との言葉は、「縁だから」もあるけれど「寂しいから、急ぎたい」とも受け取れて気にはなったが、奇跡が起き2ヶ月が過ぎた頃に結婚は決まった。お互いの自然体がとても心地良いと彼女も笑顔でうなずいた。ヤッター!希望通り初めての方との結婚が決まった。

 その後、二家族と友人知人を招待しプチ披露宴開催で妻を紹介した。新妻は家庭的で料理好きで何より亡き妻のように温かく思いやりに溢れる人柄で、子供達もとても喜んだ。又、妻の子供達は苦労を続けた母の人並みの幸せに涙を流したと聞いた。人は苦しみや悲しみに耐えても寂しさに慣れる事はないと言う。「誰かが傍にいる幸せ」「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」の言える幸せ。人生は長さではなく、今この一瞬の安らぎと寄り添う温もりだとお2人から伝授頂いた。「亡き妻(夫)の願いは一つ、あなたの幸せ」平凡と言う名の至福。

このページの先頭へ戻る